2011年9月13日火曜日

北陸の旅:(3)滅多に汽車が走らない線路

能登島に入るときには、和倉から能登島大橋を渡ったが、能登島を出るときはツインブリッジを渡って半島の方にもどった。

ここには以前泊まったことがある、「能登小牧台」という国民宿舎がある。

ここから穴水までは、道路と並行して走る「のと鉄道七尾線」を左にし、右には海を見ながら海岸線を進む。

この道路はこれまで何度も走ったが、まだ1度しかここを走る汽車を見たことがない。以前は珠洲や輪島までも走っていたが、利用者の減少で次々と廃線になってしまった。
しかし、まだ穴水までは走っているはずであるが・・・。

穴水を過ぎると能登空港を目指して山道に入って行く。目的地は能登空港を少し過ぎた辺りの黒川という地区だ。小さいながらも温泉地である。

やっと「セミナーハウス山びこ」という公共の宿泊(研修?)施設に着いた時には時間は5時をまわっていた。

夕食の前に、早速一風呂浴びると缶ビールを2本飲んで一息ついた。


1日の走行距離はおよそ500キロだった。


ガラス美術館から見る富山湾

廃止になった能登線珠洲駅跡

2011年9月12日月曜日

北陸の旅:(2)厄日かな?

福光ICから再び東海北陸自動車道に入る。
10分も走らないうちに北陸自動車道と交差する小矢部砺波JCTに着いたが、ここは直進してそのまま能越自動車道に入る。車は一気に高岡を走り抜けると氷見市に着いた。

ここでは道の駅氷見フィッシャーマンズワーフ「海鮮館」に立ち寄る。TVの旅番組などでしばしば紹介される富山湾の豊富な海の幸で有名なスポットだ。思ったよりも規模が小さく、入っている店舗やその品数も少なかった。
これなら近く(といっても10キロくらいはあるが)にある「御前崎海鮮なぶら市場」の方がずっと規模が大きい。
個人的な好みをいうと、魚類は苦手なので早々にここを出て能登半島を目指した。
氷見から七尾・和倉方面へは時間的にも距離的にも山道をとった方が早いが、せっかく日本海(富山湾)に出たことであるし、天気もよいので海を眺めながら走れる海岸線を行くコースを選んだ。
ずっと山の中を走り続けてきたので海を見るとほっとした気分になった。

走りながら時々現れるガソリンスタンドの価格の表示板に目をやる。ガソリンの価格は地域によって随分な差があるのだ。
七尾市に入ったところで、なんとレギュラーガソリンL133円の表示があった。先ほど給油したところはL145円だったのだ。なんということだろう。その差12円、12×35(L)差額420円。10%近く安いことになる。大したことではないと分かってはいてもショックは大きい。

ちょっとついてないなと思いながら走って、和倉から能登島へ渡る。時間に余裕もあるのでガラス美術館に立ち寄ることにした。
これまではいつも縦断(横断)する道ばかりを走っていたので、距離は随分長くなるが今回は海岸線に沿って島を周回することにした。

ガラス美術館に着くと、なんと閉館中だった。ちょうど展示換えの時期にあたってしまったようである。
何という不運!
仕方なく近くのガラス工房を見学した。しかし、ここもまた見事に作業は休憩時間。隣接する展示販売館をのぞいてみる。
薩摩切り子や江戸切り子のカットグラスもありとても気に入ったのだが、購入を決意するには「0」がひとつ多かった。
ついでなので、すぐ隣にある道の駅のとじま交流市場で土産物などを見て、時間も4時近くなったので今日の宿「セミナーハウス山びこ」に向かうことにした。

宿まではまだ1時間以上はかかる。

2011年9月11日日曜日

北陸の旅:(1)GSはどこだ

9月8日木曜日、7時30分過ぎに家を出る。
車はJimnyを使う。
軽自動車なので高速道路料金が安くなることと、荷物がたくさん積めることが決め手だ。

今回使用した車
洗面道具や着替えの衣類などとともにipad・ipodとルーターも一応持っていく。(宿でインターネット接続ができれば使える)
車載用の温冷庫も積み込んで飲み物も入れておく。これは土産物を買ったときに入れておくのにも大変便利である。

今回は菊川ICから東名高速道路に入った。交通量はそれほどでもなかったが、それでもやはり三ヶ日ICを過ぎて愛知県に入った辺りから混雑してきた。
最初は岡崎ICで1度高速を降りた。ETC割引を有効に利用するために100キロ程度の距離で刻んでいく。
8時59分に岡崎ICから再度高速道路に入って、豊田JCTから東海環状自動車道に進む。
ここはあまり交通量は多くないところだが、中央高速に接続する土岐JCTまでは結構車が多かった。
そのまま東海環状自動車道を進み、美濃関JCTから東海北陸自動車道に入った。岡崎ICから100キロを過ぎてきたところで、美並ICで再度高速道路を降りた。
燃料の残量が半分を切ってきていたのでこの辺りで給油もしようと思ったが、ICを出るとそこは山の中でコンビニがポツンと1つあるだけだ。近くにガソリンスタンドなどとてもありそうもないので給油はあきらめて、再度高速道路に入って五箇山ICを目指すことにした。

最初の目的地は五箇山にある相ノ倉などの合掌集落群である。
これまで白川郷の合掌集落は何度も見に来ているが、五箇山は1度も訪れたことがなかったのである。

ガソリンもなんとか保ちそうなので、そこで給油もすればちょうどよいと考えた。
ところがなんと、周囲の景色に目をやりながら走っていると、つい五箇山ICの出口を通過してしまった。
カーナビの目的地に今夜の宿を入力しただけで、経由地のセットをしておかなかったのが失敗であった。
しかたなく、今回も五箇山の合掌集落群はあきらめることにした。

しかし、いよいよガス欠の不安は現実的なものになってきた。次の福光ICまでは16キロ、燃料系はレッドゾーンに入った。なんとか保ってくれればよいが・・・。
という不安を抱えながらも、時間も12時を過ぎてきたということで、とりあえず城端SAで人間の燃料も補充した。

無事福光ICにたどり着いたが、そこは田園地帯のど真ん中。ガソリンスタンドなど見あたらない。(高速道路のICの近くには必ずGSはあるものだと思っていたのは大きな間違いであった)
美並ではあきらめたが、ここではそうはいかない。いつ車が止まるか分からないのである。できるだけ交通量が多くなりそうな道路に目星をつけて、2キロほど走るとやっとガソリンスタンドに出会えた。

危ない橋は渡るものではないと悟ったつもりだったが、恥ずかしいことにこのあと2度も同じことを繰り返した。

2011年9月7日水曜日

コオロギがやって来た

昨夜、寝室にコオロギがやって来た。

海岸近くの家から今の家に移り住んで十数年になる。
毎年夏には蚊はけっこう家の中にも入り込んでくるし、ゴキブリも数回は登場する。

しかし、コオロギが家の中に入り込んできたのは初めてだ。それも2階にある私の寝室にである。
普通の大きさに成長したコオロギならまだしも、1センチにも満たない小さなコオロギだ。
家の中に入り込むのも大変だろうと思うが、2階までの階段をどのよう上ったのだろう?
私に置き換えたとしたら富士山にでも登るようなものである。

ベランダの大きなガラス戸を開けたときに入って来たのだろうか?
それにしても、ベランダに上がるなどは、階段を登るよりもはるかに困難であろう。
庭から二階のベランダとなると、これはもう私がマチュピチュに行くみたいなものだ。

どのようにして来たものかはわからないが、健気に部屋の中を飛び跳ねていた。
そのままにもしておけないので、なんとか上手に捕まえて外に出そうとしたがなかなか捕まらない。

かわいそうだが仕方なくティッシュペーパーで押さえつけてゴミ箱行きにしてしまった。(合掌)


寝室にまで秋がやって来たのだった。

2011年9月6日火曜日

ちょっと公園までの旅:秋が来た

9月6日:火曜日
台風で何日も中断していたため、久しぶりの散歩だった。
これまでと変わらず5時に家を出ると辺りは薄暗かった。風はサラッとさわやかで冷たくさえ感じられた。半袖のTシャツのから出た腕に鳥肌が立つくらいだった。

30分程歩いたところで後方の山の稜線から日が昇ってきた。
少し雲は懸かっているが空は透き通るように青く、数日前とは明らかに違う。
まさに秋の空だった。

周りの景色もくっきりと色鮮やかで、これまでのピンボケした写真のような景色から、高感度カメラで撮影した写真のようにくっきりとした景色に変わっていた。

台風が去るとともに、夏の空気から秋の空気に、すっかり入れ替わってしまったようだ。

読書の秋! 

食欲の秋!

昨日「松茸が食べられる宿」を紹介するmailが来ていた。

「・・・そぞろ神のものにつきて心をくるはせとるものてにつかず・・・」
早速出掛ける計画を立てる。
といっても、週間天気を調べて、休日がかかって(高速道路が半額になるから)天気がよい日を探すだけだが・・・宿は何とでもなる。(でも今回に限り、松茸が・・・が条件だが)

2011年9月4日日曜日

思い出への旅:指先が繋がった?

小学校5年生の時だったと記憶している。

その日もいつものように座敷に工具を持ち込んで何かを作ろうとしていた。(何を作っていたのかの記憶は全くない)
その時使っていたのは刃の長さが10センチくらいのナイフで、刃先が大工道具の平鑿(のみ)のような形をしていた。

そのナイフの先を突き立てるようにして何かを押し切ろうとしたのだった。(それが何だったかもやはり覚えてはいない、その後に起こったことが重大すぎた)

その物を左手で支えて、それにナイフを立てると思いきり体重をかけた時だった。その物がグラッと傾いてナイフの先が支えていた左手の中指の指先を突き刺した。
指先から血が噴き出したので、あわてて指先を口にくわえて縁側に走った。(瞬間、座敷が血だらけになると怒られるだろうと思ったのだ)

縁側に出て外に首を突き出すと、恐る恐るくわえていた指を口から出して見た。
真っ赤になった1センチくらいの指先が今にも取れそうにつる下がっていた。そこには白く指先の骨が見えていた。

あわてて、その取れそうになった指先を元の位置に押さえつけて口にくわえると、急いで救急箱からガーゼと包帯を取り出してきた。
指先をガーゼで押さえつけるように覆うと、その上から包帯でぐるぐる巻きにした。

とりあえずそこまでしたところで、座敷の血を拭き取って、広げていた物を片付けた。
どうしたものかと思案したが、指先が取れそうになっているなどと親に言ったら怒られるだろうと思って、ちょっと指先を切っただけだと言っておいた。


出血を抑えるために包帯で指をきつく縛っていたので、そのままでは血流が止まって指がだめになってしまうと思い、落ち着いたところでもう一度縛りなおすことにした。
指先が取れてしまわないように慎重に包帯をとくと、キズ口の周辺をもう一度きれいにして、ガーゼと包帯を交換した。
血流が悪くなって紫色になった指は全体が痺れるようで感覚がなかったが、一応指先は元の位置に貼り付いていた。

3カ月くらいはそんなふうにして、自分で包帯を取り替えていたように思うが、もっと長かったかも知れない。
交換のたびに指先の様子を心配しながら観察した。
最初は紫色だったが、しだいに色が薄くなって、白っぽくなっていったので少し安心した。紫色のままだったら指先が壊死してしまうと思っていたからだ。

なんとなく指先は付いて、血が通っているような感じになったが、指先のその部分だけはいつまでも色が白かった。やはり血流が悪いのだろうと思った。

感覚も全くなく、針を刺しても痛くも痒くもなかった。血流はもどってきても、神経は切れたままのようだった。

全く感覚のない指先を保護するためもあって半年ほどは指に包帯を巻いていたが、相変わらず痛くも痒くもないながらも、なんとなく物に触れる感覚がもどってきたところで包帯をするのをやめた。

しかし、その指先に、他の指と同じような感覚がもどってくるのにはもう4~5年かかった。

人間の体もかなりトカゲに近いと思った。(どうせならトカゲのように再生すればいいのに・・・)


今でも左手の中指の先に、指の径の3分の2程が切れた傷跡がくっきりと残って、指先の形も少しゆがんでいる。




2011年9月1日木曜日

思い出への旅:花火

子供の頃によく遊んだ花火は「リュウセイハナビ」というものだった。漢字ではどう書くのかは知らなかった。今でもわからないが、竜勢だったのかな?などと勝手に想像する。

30センチほどの長さの竹籤の先に火薬を詰めた4~5センチの紙の筒が付いている。そこに火を点けると火を噴きながら空中に10数メートル飛び上がって破裂するものだ。

ただそれだけだが、ヒューっと音をたてて飛んでいくのと、それがバンッと破裂するのが爽快だった。


ある時、それがもっとずっと高く飛び上がって大きな音を立てて破裂するようにしたいと思った。

今よりも高く飛んで大きな音を出すには、まず火薬の量を増やせばいい。単純にそう考えた。
早速花火を買ってくると、そのうちの5本ほどの筒の部分をほぐして火薬を取り出した。1本に入っている火薬の量はちょっとだけで、5本集めてもほんのわずかしかなかった。

こんなに少ない量では一瞬で燃え尽きてしまって高くは飛ばないのではないかと心配で、1度試してみることにした。
火薬を詰めるものとして、元の花火の筒と同じくらいの大きさの物を探して、鉛筆のキャップに目をつけた。
集めた火薬をキャップに入れると半分にもならなかったが、とりあえずそれだけでどれくらい燃えるかやってみることにした。

早速マッチを持ってきて、右手でマッチを擦って火を点けると、キャップを左手に持ってそれにマッチの火を近づけた。

シューっと燃えると思っていたが、とんでもない間違いで、バアーンという大音響をたてて一瞬で爆発した。火薬が飛び散って手や顔などあちこち小さな火傷はしたが、左手の指も全部ついていたのでほっとした。

大きな音にびっくりした母親が走ってきたが、ちょと花火が爆ぜただけだととぼけてやり過ごした。
これに懲りて、それからはもう二度と火薬のいたずらすることはなかった。