2011年9月29日木曜日

ちょっと公園までの旅:ツバメが去った日

今日午前の散歩中(9時頃)にふとツバメがいないことに気付いた。
思い返してみると昨日も見かけなかったような気がする。
一昨日から、朝の散歩は朝食前から朝食後に変更したが、そのときからは見ていないようだ。

おかしなもので、その年初めて見かけた日(初見日)ははっきり分かるのだが、去った日というのは実に曖昧である。
意識して毎日記録していないと特定しにくいのだろう。

先日の台風の後に(台風とともに?)たくさんの赤とんぼがやって来たが、それと入れ替わるように去っていったようにも思える。

この辺りにやって来た秋の空気を感じ取って南の国へと旅だったのだろう。


朝夕はずいぶん涼しくなったが、日中はまだまだ暑い。今日も歩いていると汗が噴き出してきた。
しかし、もう間違いなく秋なのだ。

季節は一歩一歩確実に進んでいる。

2011年9月28日水曜日

本の旅:Sony Reader

Reader6型と5型、および、それぞれの専用ブックカバー

昨年末にSonyから電子書籍端末Readerが発売されて早速購入することにしたが、このときは結構品薄のようなので、すぐに手に入る5型を購入した。

購入を決めた大きな理由が、専用のReaderStoreからたくさんの無料書籍をダウンロードして読めることだ。

昨年の夏から過去に読んだものも含めて近代文学の名作といわれるものを読み返しているのだが、これを利用すればそれらのほとんどの作品を手に入れることができる。

また、旅行に行く時も、これを持っていけば文庫本1冊のサイズで数百編の小説を持って出掛けることができる。


もう一つ便利に利用しているのが雑誌の記事を読むことだ。
雑誌の記事の中から、見出しの気になった記事だけを購入ダウンロードして読めることも気に入っている。


ただ普段家で利用するには画面がもう少し大きい方がよいかとも思って、今回6型も購入した。
(文字サイズを変えられるので5型でも特に困るということもないのだが、文字サイズを大きくした時のページをめくる頻度が高くなる煩わしさを軽減したかった)


当分の間は家にある大量の未読の蔵書を読むことと、このReaderでの読書で過ごすことにしようと思っている。
ブックカバーを取り付けた状態


今回は Sony Reader の宣伝になってしまいました。
SONYから宣伝料が出るかな・・・?

2011年9月27日火曜日

ちょっと公園までの旅:散歩

ここ数日天候がぐずついたために散歩に出掛けられないでいた。

散歩に行かないとその分の時間が3時間は浮いているはずなのだが、思い返してみるとこれといって何かしたことは何もない。
その分たくさん本を読んでいたわけでもないし、逆にこのブログを書くことさえ停滞していた。
まるで冬眠状態である。

今日も早朝は雨模様で散歩に出なかったが、10時頃になると雲が切れて青空が見えてきたので、久しぶりに散歩に出掛けた。

歩いているといろいろなことが頭に浮かんでくる。

周りの様々な物を見て脳が刺激されるのだろうか。

毎日歩く同じ道だが毎日違う。空の色の青さや雲の形や高さ。遠くの山の色。川の水の色や水量・流れの蛇行の仕方。道端の草花の育ち具合やその種類。鳥や虫の鳴き声(種類)。行き交う車の量。出会う人の服装。朝の光から肌に触れる空気の感触までが毎日違う。

そんな微妙な変化の中を歩いていると自然に脳が活性化されるようだ。

2011年9月24日土曜日

ちょっと公園までの旅:リス

さわやかな季節になりました。

散歩の時間が朝は15分遅くなり(5時15分)、夕方は30分早く(4時30分)なった。

少し前までは、夕方は歩き始めると西日がちょうど正面になりとてもまぶしかったが、やや日没の位置が南にずれてきて、日差しがそれほど気にならなくなった。

今日も赤とんぼの大乱舞だ。


目的地の公園が近くなった所で不意に左側の茶畑から3~40センチくらいの小さな生き物が飛び出して、素早く道路を横切ると、右側の草むらに消えた。
リスだ!

1年に何度かは、車で茶畑の中の道路を走っていると、リスに出会うことはあるが、散歩途中で見かけたのは初めてだ。
こんなに民家の多いところで見かけるなんて驚きだ。

気をつけていれば身近なところでまだまだ思いもよらない生き物に出会えるのかもしれない。


帰路にはほんの3~4メートルほどの距離にある草の幹にカワセミが留まった。
こんな至近距離で目にしたのは初めてだ。


驚きの多い夕方の散歩だった。

2011年9月23日金曜日

ちょっと公園までの旅:台風一過

一昨日台風15号が暴風雨とともに駆け抜けた。

今日いつものコースに散歩に出ると、あちこちに台風の爪痕が残っていた。

屋根の瓦やトタンが飛んでいる。
物置小屋が倒れている。
樹木が折れたり、倒れたりしている。

あちこちで台風被害の後片づけをしている。


私も昨日の午前中は家の周りの片づけをした。
午後は姉の家の庭で、倒れた木の片づけをした。
幹の太さが30センチ前後もある大きな木だ。
チェーンソーを持って行って、倒れた大きな木の枝を払い、太く長い幹を短くカットした。

明日も、潮風に洗われた雨戸や大きなガラス戸を洗浄するつもりだ。


台風は様々な被害を及ぼしたが、一方で、本格的な秋の空気も運んできた。

昨日から気圧配置も秋模様になり、さわやかな風が吹き抜ける。
周囲の田圃には赤とんぼが飛び交っている。散歩の道沿いも赤とんぼでいっぱいだ。
台風がたくさんの赤とんぼも運んできた。

夜になると、秋の虫の声が一段と大きく響く。


今年は3度も台風の直撃を受けた。その都度庭木を洗ったが、こんなに何度も塩を浴びてしまうと残念ながら秋の紅葉がさみしくなりそうだ。

2011年9月22日木曜日

北陸の旅:(11)九頭竜川を遡って

永平寺を出て帰路につく。
大野市を通って九頭竜川をさかのぼり岐阜県に抜けて東海北陸自動車道に出るつもりだ。
時間は12時30分を過ぎているのでどこか途中で食事を摂ることにする。

永平寺から5~6キロ南下して福井と大野を結ぶ道路に出たところで、大野に向かって東進する。

30分も走ると山の上に建つ大野城が見えてきた。
ここにも寄りたい気持はあるが、近くの駐車場に車を止めて山上の天守閣を目指すとなると1時間以上はかかってしまうので、市中には入らないで大野城を左に見上げながらトンネルを抜けて市街を迂回する。

大野城
次の交差点を右折して10キロ程走って山道に入ると宝慶寺があるのだが、これも今回はパスせざるを得ないのでここも直進した。

道路は田園風景が広がる中を緩やかに登り続けて九頭竜に向かっている。
30分くらい走ると道の駅九頭竜に着いた。

ここはJR越美北線の九頭竜湖駅に隣接しているのだが、これまでにここで汽車を見かけたことは1度もない。廃線になった終着駅の跡だと思っていたが、まだ営業運転をしているようだった。

ここの小さな道の駅で大きな舞茸を見つけてしまった。大好物である。昨夜の松茸よりも、私は舞茸のほうが好きである。辺りを見回すと舞茸の天麩羅がまだ2パック残っていたので2つとも買った。1パック300円だった。これは安いのだろうか高いのだろうか?

(昼食がまだだったので)何か食べ物はないかと探したら、隣に小さなそば処があった。
覗いてみると、舞茸そばというのがある。当然のようにそれをいただいた。
秋の味がした。

時間は2時近い。明るいうちに自宅に帰り着きたいと思っているので先を急ぐ。
ここから一気に登って九頭竜ダムのダム湖に出る。なかなか大きなダムだ。この辺りは紅葉の名所だ。時期になったらまた来るつもりでいる。

九頭竜ダムから下流を臨む

九頭竜ダム湖
その時には、今回寄れなかった大野城・宝慶寺、それにホワイト家族のCMで有名になった一乗谷朝倉氏遺跡、平泉寺白山神社に行こうと思う。

九頭竜ダムから山道を登って山脈越えだ。冬季には雪が深くて通れなくなる道である。
上り詰めたところ、油坂峠から先は新しくできた中部縦貫道という立派な道路があり、それを使うと白鳥ICでそのまま東海北陸自動車道に合流する。

あとは往路の逆の経路で美濃関JCTで東海環状自動車道に入って豊田JCTから東名高速にでた。

往路は平日だったので、100キロを目安に高速道を出入りしたが、この日は休日(土曜日)で距離・回数制限なしの料金50%割引が適用されるので、一気に菊川ICまで走った。

ちょうど5時には菊川ICを出た。
全く気にしていなかったが、ふと燃料計に目をやると目盛りはレッドゾーンを指していた。
またしても際どかった。「2度あることは3度ある」の通り2度あったことの3度目があった。
しかし、いずれもセーフだからOKである。


2011初秋 北陸の旅   「完」

2011年9月21日水曜日

北陸の旅:(10)永平寺

10時00分。
とりあえず目的地を永平寺に設定してナビ任せで出発する。走っているうちに記憶が甦ってきて見覚えのある家並みの中を走る。
旧丸岡町を通過する経路なので丸岡城に立ち寄ることにした。

ここは、町にゆかりのある本多作左衛門重次が妻に送った有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という短い手紙にちなんで、日本一短い手紙を募集して「一筆啓上賞」を贈っていることで有名になった町である。

小さいながら江戸時代に造られた日本でもっとも古い天守閣が現存している。

丸岡城
あまり知られていない小さな城だけれど、復元された建物ではなく私は気に入っている。一見の価値はあると思う。

これまで何度か行った時には駐車場はがら空きで数人の見学者しかいないかったが、この日は駐車場は満杯で観光客を乗せたマイクロバスまで来て多くの人で賑わっていた。休日(土曜日)だとこんなにたくさんの人が来るのかとびっくりした。

城は小高い山の上にあるのだが、すぐ下にある小学校では運動会が催されていてにぎやかな音楽が響いていた。
ふと、そういう季節になったんだなあという感慨がわいてきた。
あまりゆっくりしている時間の余裕はないので、あたりを一巡して永平寺へと急ぐ。

途中のGSで給油をした。昨日給油したばかりだが、この先内陸部に入っていくとガソリン価格がぐっと騰がるし、ここで満タンにしておけば家までの帰路給油はしなくてもよいだろうという見通しからだ。
ガソリン価格1L136円。

田舎の広域農道といった感じの広い道を快適に走ると永平寺の参道に入る。
土産物店が立ち並ぶ道をできるだけ奥まで車で入り、参拝者の入り口が見えるところまで行って、土産物店の駐車場に車を入れた。帰りに千円以上の買い物をしてくれれば無料でよいという。
ここで土産物を買う予定でいたので好都合であった。

車を置くとさっそく境内に入った。




中に入るといきなり大きなコンクリート造りの建物が建っていた。正面は全面が大きなガラス張りで一部が広い入り口になっている。美術館か博物館にでも入っていくような感じである。
違うのは入ったところで靴を脱いでビニル袋に入れて持って行くことくらいだ。
靴を脱いであがるとそこに広いホールのような部屋があり、若い僧が参拝客を集めて参拝の案内や境内の説明をしていた。
観光地そのものである。
スケールは大きいがなんとなく品がないというかありがたみに欠ける。

前に来たときにはこんなではなかった。こんな興ざめするようなコンクリートの建物はなかった。
雪が残るの中で箒で境内を掃き清めたり、吹きさらしの廊下で床や柱を水拭きする若い僧たちを目にした。(今も時間によっては見られるのかもしれないが・・・)
全国から僧たちが修行に来る曹洞宗の総本山にふさわしい雰囲気が感じられた。

思い切り肩すかしを食った感じだ。
アルミサッシに覆われたコンクリート造りの階段や渡り廊下を通って順路通りに一回りした。




これだったら能登で総持寺に寄る方がよかったし(今回は寄らなかった)、もう少し先の大野市郊外にある宝慶寺に行く方がよかったと悔やんだ。(これ以上寄り道をする時間的余裕はない)

境内を出ると土産物店で羽二重餅を買った。
12時30分。永平寺を後にする。

2011年9月20日火曜日

北陸の旅:(9)東尋坊

宿からは約30キロの道のりである。
結構道路が入り組んでいて分かりにくいのでナビまかせで走ることにしたがやや不安だ。

実はこのナビ、我が家から50メートルほどの所にあるスーパーで目的地を自宅にすると、自宅から逆方向に向かうのである。そして4~500メートル先にある県道のバイパスに入り次のインターチェンジを降りて自宅に向かうルートを示すのである。50メートル先の所に行くのに、なんと6キロ以上遠回りをするのである。こんなちょっとおバカなナビなのだ。(ちょっとではなく大バカかもしれない)

まあ近くまで行ったところで自分でルートを選ぶことにして、とりあえずはナビに従う。

東尋坊に近づくと、道路のあちこちに東尋坊への案内標識が現れてきた。ときどきナビが案内標識と違うルートを指示するが、勿論無視して案内標識に従うことにした。
そのうちに見覚えのある道路や海岸の景色が広がってきて無事に東尋坊にたどり着いた。走行時間は1時間ちょっと、9時を少し回ったところだった。

車を土産物店の駐車場に置く。勿論無料である。店で買い物をしてもらうことをねらっているのだが、特に買い物をする必要はない。
すぐ横に大きな市営の有料駐車場があるが、そこに入っている車など無い。料金係の人件費だけ税金の無駄遣いをしているような気がする。

駐車場からは店の中を通り抜けて東尋坊の断崖のうえに出る。天気は快晴で真っ青な空と海が視界いっぱいに広がった。



こんなにきれいに晴れ渡った東尋坊は初めてである。

最初に来たのは厳寒の2月で、海から冷たい小雪混じりの季節風が吹き付けていた。それはそれで冬の日本海の風情はあったが、目の前に広がった真っ青な景色にはかなわないだろう。
こんなにも天候に恵まれることは滅多にないことなので、昨年に続いてになっても、今回もわざわざここに立ち寄ってよかったと思った。

通りに立ち並ぶ土産物店の店内を見て回ったが、取り立てて気を引くような物もなかったので、何も買わずに車にもどった。


10時00分永平寺に向かう。

2011年9月19日月曜日

北陸の旅:(8)旅の宿

ほぼ予想通りの5時をすこし回った時間に片山津温泉の宿に到着した。
夕食時間を6時30分にお願いして部屋に入る。
一息入れたところで早速風呂に入ることにした。
風呂に入るとなんとなくその日の宿の客の入り具合が分かるような気がするが、この日は数人が入浴しているだけで、そんなに混雑しているような印象は受けなかった。
そんなに大きな浴室ではなかったが、狭いと感じるようなことはなかった。

1日中車の運転をしてあちこち歩き回ってくるとやはり疲れがたまっている。そんな時、まず風呂に浸かってゆったりとした気分で思い切り体を伸ばすと一日の疲れがすぅーっと抜けていくような感じがする。湯上がりに飲むビールの一杯も格別である。

6時30分に食事会場に行く。
風呂で想像したよりも客は多かった。
今回の旅の第一の目的は松茸を食べることだ。
すでにテーブルに食事がセットされていた。


蟹一杯にアワビ1個・焼き松茸・牛ステーキが付いているコースだが量がやや少なかった。
蟹の丸ごと一杯は、見た目ははでだが食べるのが面倒なので、私はあまり好みではない。一生懸命に蟹の身を取り出しながらビールを3本飲んでご飯にした。
蟹を剥き疲れた食事だった。

食後にひと休みしたらまた風呂に行く。
温泉に行ったときにはだいたい4回入浴する。
宿について1回、食後に1回、寝る前に1回、朝起きて1回の計4回だ。

今度は大きく開いた浴室の窓から見える夜景を眺めながらゆっくりと湯に浸かって夕食の時に飲んだビールを体から抜いた。

風呂からあがったら飲み直しだ。
早速、今日狼煙の道の駅で買ってきた珠洲焼きの焼酎杯を使って飲む。
焼酎や水は車の車載用の冷蔵庫に入れて持ってきている。もちろんつまみもだ。
地図や旅行雑誌を見ながら翌日の行動計画や走行ルートを検討する。これもつまみのうちに入るかもしれない。
どれも外せない旅先での楽しみである。
見るとはなしに点けっぱなしになっているTVからたまに流れてくるローカル局の放送番組もその地域の土地柄が垣間見られて楽しいものである。

そんなことをしている間に時間も11時を回ると、寝る前にもう一度風呂に向かう。
この時間になると浴室は閑散としていて、入浴している客は1~2人いるかいないかである。
がらんとした湯船にひとりでゆったりと浸かって一日を振り返る。

あっ!家に連絡するのを忘れてたということもよくある。
今回も1度も家に連絡を入れなかった。たった3日だったし、「便りのないのはよい便り」ともいう。
まあよしとしよう。


朝はいつものように4時30分に目が覚めた。毎日朝の散歩に出掛けるために起きる時間だ。
日の出が5時半ごろだと思われるので、5時を過ぎたら朝風呂に入るつもりだ。
TVのスイッチを入れて5時まで朝のニュースを見る。

5時になったところで風呂にに向かう。
浴室は男湯と女湯が入れ替わっていた。そういえばチェックインの時に、3時に浴室を男女入れ替えると言っていた。

当然だが入れ替わった男湯(昨夜の女湯)に入る。
脱衣場がとんでもなく広い。ガランとして誰ひとりいない。浴室にはいるとこれがまた広い。昨夜の風呂の3倍は優にありそうである。

シャワーを浴びて目を覚ますと、全面が大きな窓になっているところまで行く。窓が水滴で曇っているので、外の景色がよく見えるようにそこにお湯を掛けて見通しをよくしてから湯船に浸かる。
窓は東の方向にある湖に面していて、湖上に朝日が昇ってくる光景が見られるはずである。
空がしだいに白み始めてきている。すこし雲も懸かってそれが赤く染まる。
やがて湖上に朝日が昇ってきた。
この、まだ暗い空がだんだん明るくなって、日が差すまでの空の変化がなんとも言えず好きである。
自宅にこんな景色が味わえる風呂が作れたらいいと思う。
(地震が来て家が壊れたら今度はそんな家を造る。でも今の家は震度6程度では簡単には壊れないように造ったが・・・)

朝風呂でさっぱりしたところでやっぱりビールの1杯も飲みたいがこのあと車の運転をしなければならないので残念ながらそれは断念する。
これが車で出掛けるときの唯一最大のマイナス点だ。


風呂からもどると荷物の整理をして、7時から朝食だ。
朝食はバイキングで好き嫌いの多い私にはありがたい。品数も多くなかなか味も良かった。


8時宿出発。
今日は天気もよいので東尋坊をまわろう。

2011年9月18日日曜日

北陸の旅:(7)金沢兼六園

輪島から穴水に向かう道路に入ると、前を大型トラックが走っていてずっとその後ろに着いて行く羽目になった。鮮魚でも積んでいるらしく、上り坂のカーブを曲がるたびに荷台から水が道路にこぼれ出る。その水しぶきが後ろを走る私の車のフロントガラスにかかる。ガラスが汚れることもあるが、何よりも魚の生臭い臭いが着くのではないかと気が気ではなかった。

大分ガソリンが減ってきたのでそろそろ給油を考えなければならないが、金沢まで行けばガソリン1リットルあたりの単価が10円以上は下がると思われるので、給油はそこまで延ばすことにした。

穴水でやっと大型トラックから解放されて快適な能登自動車道のドライブになった。交通量も少ないし、山の尾根の部分を走るところも多いので左の富山湾の海が見えたり、右に日本海の海が見えたりで景色もなかなかだ。輪島に着いた頃から雲が切れてきて青空が広がってきていたので海の色も青かった。

能登自動車道を出て金沢市街に入ったのは3時頃だった。やはり市街に入るとそれなりに道路は渋滞していて兼六園まではもう30分程かかった。

車を兼六園に隣接する石川県立美術館の駐車場に停めると、兼六園の南側にある随身坂の入り口から入園した。空もすっかり晴れて夏を思わせる日差しが降り注いできた。城跡の小高い場所だが結構暑い。木陰を選びながら園内を散策する。
今はこれといった花もないし、紅葉にはまだ早い。わずかに萩が咲いていた。
見通しのよい場所から金沢市街を一望して園内を一巡すると車にもどった。
時間は4時半になっていた。

以前2月に来たことがあったが、その時の雪景色が印象深い。
雪に覆われた真っ白な庭園の中に雪吊りを施された松の緑が鮮やかに映えていた。
好みをいえば、兼六園は冬に訪れるのがよいと思った。




夕方のラッシュには巻き込まれたくないので早めに今晩の宿に向かうことにした。北陸自動車道を使えば30~40分で片山津温泉にある宿には着けそうである。

高速道路に入る前にガソリンスタンドに立ち寄って給油をした。
34.5L給油。ここもなかなかきわどかった。(高速道路に入ってしまうと途中でガス欠になっていたかも・・・)

ちょっと公園までの旅:曼珠沙華

久しぶりに青空が広がっている。
といっても、朝の散歩に家を出たときにはまだ薄暗く、空の色まではよく分からなかった。

いつものコースを歩いていると、いつも出会う人達と顔を合わせる。みんな同じように、久しぶりに晴れましたねえ、などと声を掛け合う。

川に沿った道端には曼珠沙華(彼岸花)が開花していた。先日まではすうっと伸びた先に蕾が見えるだけだったが、あちこちで一斉に開花していた。

いつもよりも一週間ほど早いようだ。
彼岸花とはよく言ったもので、例年は見事に秋のお彼岸に合わせて咲く。


子供の頃はこの彼岸花が嫌いだった。特に理由はなかったのだが、なんとなく綺麗だとは思えなくて好きになれなかった。

子供の頃近所を駆け回って遊んでいてこの花を見かけるところといったら必ず墓地だったからかもしれないし、あのあまりにも強烈な赤い色にかえって不気味さを感じたのかもしれない。

彼岸花の球根には毒があるのでモグラが来ないようにするために植えられたのではないかというようなことも聞いた。
確かに田舎の農道や田圃の畦にはたくさん咲いていて、なんとなく納得してしまう。
そういえば我が家の裏の用水路沿いの公地には彼岸花は咲かない。だからなのか毎年モグラの穴でボコボコになっている。


いつの頃からかこの彼岸花が好ましく思えるようになった。いつからなのか?なぜなのかは分からない。
今では、田舎の道路沿いや川の土手を真っ赤に染めたこの花を見ると秋を実感する。




家の庭にも植えてあるが、我が家のものは白い色の花が咲く彼岸花である。(ちなみにこれは赤い花のものよりも一週間ほど開花が早い)
赤いものもほしいと思いつつも、まだ植えてはいない。

2011年9月16日金曜日

北陸の旅:(6)輪島

珠洲から輪島へはずっと海沿いの道だ。切り立った岩場も現れ、道路のアップダウンも激しい。冬場は強い西風が吹きつけ、日本海の荒波が打ち寄せる気象条件の厳しい地域だ。

多少開けた平坦な所に出ると所々に輪島塩をつくる塩田が見られる。途中二カ所ほど立ち寄って設備や道具・製塩に関する資料等を見学した。





そしてついでに、どこに行っても目にする「塩サイダー」なるものを試しに1本飲んでみた。かすかな塩味がしてすっきりした飲み口だったが、1本(200ml)を飲み干してしまうと炭酸でお腹が張ってしまって多少苦しかった。


塩田を見てひと休みしたら再び輪島に向かうが、もう一カ所予定している見所がある。白米という地区にある棚田である。
白米の千枚田として棚田百選にも選ばれているところで、棚田としてはスケールが大きくなかなかの見応えである。
そろそろ収穫の時期で、稲穂が黄色く色づいた光景が見られるのではないかと期待していたが、まだ少し早いようだった。

白米千枚田

ここには「千枚田ポケットパーク」という小さな道の駅があり、平日にもかかわらず観光バスなども立ち寄っていて、狭い店内は観光客でごった返していた。

輪島市周辺に宿泊した観光客が、朝市を見たあとに流れてきたという感じであった。
私はこれとは逆で、今から朝市を目指す。
輪島まではあと10キロといったところだ。


10数分で市街に入ると市役所の駐車場をに車を入れた。時間はちょうど12時を回ったところで、昼休みに入った市役所の職員と思われる人達がぞろぞろと庁舎から駐車場のほうに出てきていた。
車を降りると急いで朝市通りに向かった。途中の観光バスの駐車場などは閑散として1台のバスも無かった。観光客らしい人通りもほとんどない。少し不安になった。

いつもなら屋台のテントが立ち並んでいる場所が見えてきたが何もない。メインの朝市通りに出ると、通りは閑散としていてすっきりと遙か彼方まで見通せた。片づけをしている数人のおばちゃんがいただけであった。
以前はこの時間でもまだ店は出ていたように思っていたが、記憶違いだったようだ。
特に何を見たい買いたいというわけでもないし、海産物が中心でどちらかといえば私は苦手なところなのでそんなに残念な気持もない。

駐車場にもどる途中にちょうどそば屋があったのでそこで昼食にした。カツ丼セットなるものを食べたが、思った以上に量が多いうえに、途中で飲んだ塩サイダーの影響も残っていたらしくすっかり満腹になった。
このあと眠くならないか心配になった。

何か輪島の土産になるものでも見ようと思って、かつてはここまで鉄道が走っていたという名残が残る輪島駅前(ここも正しくは輪島駅跡前というべき)にある道の駅「ふらっと訪夢」に寄ることにした。
土産と一緒に、ちょっと(すごく?)高いが、何か輪島塗の小物でも買おうかなどと考えていた。

数分で輪島駅前には着いたが、駐車場はがら空きである。
車を降りて建物にはいると、広いスペースが観光案内所のようになっていて、一カ所小さな店舗が入って細々と土産物を売っていた。
ここも以前はもっと多くの店舗が入ってたくさんの土産物が並び、買い物をする大勢の観光客で賑わっていたのだが・・・。

すっかり買い物をする意欲は失せてそのまま車に乗り込んだ。
今回は昼食を摂るためにだけ立ち寄った輪島であった。

どこに行っても何となく観光客が少なくなっているように感じたが、これも気のせいだろうか、それとも大震災の影響がこんなところにも出ているのだろうか。

時間は1時半。穴水に向かう。
穴水からは能登自動車道を走ってまっしぐらに金沢兼六園だ。

ちょっと公園までの旅:ギンモクセイ

今朝いつもの散歩コースを歩いているとどこからともなく秋の香りが漂ってきた。キンモクセイの甘い香りである。

キンモクセイは、例年は10月10日前後のさわやかに晴れた日に香り始めるのに、随分早いなあと思いながら辺りを見回した。
通り沿いの民家の庭にキンモクセイに似た白い花が咲いていた。
ギンモクセイである。どこに行ってもキンモクセイは民家の庭や公園などあちこちに植えられている。そして時期になると町中にキンモクセイの香りが満ちあふれる。しかし、ギンモクセイは滅多に見かけろことはない。

ギンモクセイは、キンモクセイに先だって咲いて、一足早く秋を届けてくれるようだ。


今年は我が家の庭にもギンモクセイを1本植えることにしよう。そうすれば来年からは我が家の庭には世間よりも一足早い秋が来ることになるだろう。

ギンモクセイの花

2011年9月15日木曜日

北陸の旅:(5)珠洲

二日目の朝。空は曇り空。
天気が良さそうなので出掛けてきたが、昨夜の予報ではいきなり金沢に雨の傘マークが出ていてショックだった。
曇っていると海の色が青くきれいに見えないので残念である。

8時過ぎに、とりあえず能登半島の北端を一回りしようと海岸線を目指して東に向かった。
30分程で海岸線に出たが空は相変わらず曇ったままだ。
車を走らせていると小粒ながら雨粒もフロントガラスに当たる。

そこから30分近く走ると恋路海岸に出た。
名前がなかなかロマンチックである。そのためか最近は人気のスポットだという。
しかしこの日の空はどんよりと曇っていて、この空の下でカップルがこの海岸線に佇んでいたら、見た人は心中でもするのではないかと心配してしまいそうな雰囲気が漂っていた。

晴れて真っ青な海と空が広がっている景色を想像するとそのギャップの大きさには仰天する。

心中の画を見ることになる前に早々に恋路海岸を後にする。


恋路海岸



狭い海岸線に張り付くように建った家々の間の狭い道を縫うようにして走って珠洲に向かう。
30分ほどで珠洲駅前に出た。駅前といっても今は駅はない。穴水から北は既に廃線になったいるのだから珠洲駅前跡というのが正しい言い方だろう。
駅舎があったのだろうと思われるところは「すずなり」という道の駅になっていた。
横には、ここにも鉄道が走っていたんだぞと言わんばかりに、当時の面影を残すホームと線路の一部が残されていた。


珠洲駅の面影を残すホーム


1本だけ一部残された当時の線路


再び海岸線に沿って半島の先端にある禄剛崎灯台を目指す。
岩場と狭い砂浜が交互にやってきて道は狭いうえにアップダウンもある。
途中、有名な「ランプの宿」の案内板も目にした。

ここも30分程走ると禄剛崎灯台への登り口の下にある道の駅に着いた。名前は「狼煙」である。
読める人は少ないのではないだろうか。「のろし」と読む。
なんとここの地名が「狼煙」なのである。変わった地名である。

私なりに勝手な想像をした。

沖を行く船の安全のためにこの地で狼煙を焚いていたのではないだろうか。そして、それが地名になったのだと・・・。


道の駅の駐車場に車を置いて登り口に向かう。「車両進入禁止」「ここから徒歩5分」という立て看板があった。狭く急な坂だったが、私の4WDの車だったら登れそうな気がした。
随分きつい道のりで大変だったが、確かに所要時間は5分程度であった。

着いたところは海に突きだした高台で地球が丸いことを実感させてくれるように、確かに水平線が弧を描いて見える。
すこしではあるが空も明るくなってきた。

禄剛崎灯台


日本海の水平線
ここで真っ青な海が見たいものだと思った。再訪を期す。

登ってきた急な坂を下り、下の駐車場にもどると、道の駅「狼煙」の小さな売店を覗いてみる。
ちょっと気に入ったデザインのネクタイがあってふと手が出かかったが、もう冠婚葬祭以外にはネクタイなど手にすることがなくなっていることに気づいて思いとどまった。

代わりにという訳でもないが、形のよい珠洲焼きの焼酎杯を見つけたので、それを購入した。
(今夜はこれで一杯やろう!)

時間は10時半をまわった。
いそいで輪島に向かう。

目的は朝市!

2011年9月14日水曜日

北陸の旅:(4)過疎地

夕食は6時半にお願いしてある。
時間になったので食堂に行くとテーブルに夕食が用意されていた。
私の他に二つのグループがテーブルを囲んでいた。
一つのテーブルは3人のグループで、仕事が終わって一杯飲みに来たといった感じでにぎやかに酒を酌み交わしていた。
もう一つのテーブルは若者4人のグループだが、こちらは大人しく黙々と食事をしていた。

そういえば昨年ここを訪れたときにも宿泊客は私ひとりで、やはり仕事を終えてひとりで飲みに来ていた近所の親父さんと会話が弾んで、食後も1時間以上ここで一緒に飲んでいたのだった。

近くに遊びに行く所も飲み屋もないし、この辺りの人たちが仕事を終えてちょっと一杯という時の唯一の場所なのだろう。

ビールを2本ほど飲んでいる間に、4人の若者たちは食事を終えて早々に食堂をあとにし、もう一組の、3人で飲んでいた人たちもそれからまもなく帰宅した。

詰めれば4~50人は入りそうな広さの食堂であるが、客はこれだけであった。もしかしたら、これでも多い方なのかもしれない。なにしろ昨年はたった二人だけだったのだから・・・。


夕食を終えてのんびりとしながら明日はどこに行こうかとあれこれ考えた。今回は長い間ご無沙汰になっている兼六園と永平寺には行くつもりで来たが、他には特に拘っている所はない。片山津温泉のホテルに5時くらい(一応夕方のラッシュ時間は避けたい)に着けばよいので、あとはいつものごとくで、時間を見ながらの行き当たりばったりといったところだ。永平寺は明後日になるので、とりあえず兼六園に寄る時間さえ確保しておけばよい。


一休みしたところで、折角の温泉なのでもう一度ゆっくり湯に浸かることにした。

風呂に行くと珍しく(初めて)先客がいた。
聞くと、大学生だということだった。
ひとりは金沢大学、もうひとりは名古屋大学だという。インターンシップで8月下旬にここに来てずっと滞在しているという。

大学で行き先の希望をとったときに、くじ引きで負けて、誰も希望者がいないで残っていた所のここに来たのだそうだ。
ところが、来てみるととても良い所だという。地域の人たちがとても親切でよくしてくれるし、食べ物もとてもおいしい。
くじ引きで負けて来たところだけれども、実際は大当たりだったという。

実は、翌日が最後の日で、このような過疎の山村地域の振興についての考えをまとめたレポートを発表するのだそうだ。

慣れないネクタイなども締めて地区の偉い人たちの前で発表するので今からちょっと緊張しているのだと話してくれた。

頑張って是非こういう地域の良さを生かせるような振興策を提案してほしいものである。
この学生たちの明日の発表をちょっと聴いてみたい気持ちになった。


こういう若者たちがもっともっと増えて、全国各地に広がってきている過疎地が少しでも活性化されていってほしいと思った。

2011年9月13日火曜日

北陸の旅:(3)滅多に汽車が走らない線路

能登島に入るときには、和倉から能登島大橋を渡ったが、能登島を出るときはツインブリッジを渡って半島の方にもどった。

ここには以前泊まったことがある、「能登小牧台」という国民宿舎がある。

ここから穴水までは、道路と並行して走る「のと鉄道七尾線」を左にし、右には海を見ながら海岸線を進む。

この道路はこれまで何度も走ったが、まだ1度しかここを走る汽車を見たことがない。以前は珠洲や輪島までも走っていたが、利用者の減少で次々と廃線になってしまった。
しかし、まだ穴水までは走っているはずであるが・・・。

穴水を過ぎると能登空港を目指して山道に入って行く。目的地は能登空港を少し過ぎた辺りの黒川という地区だ。小さいながらも温泉地である。

やっと「セミナーハウス山びこ」という公共の宿泊(研修?)施設に着いた時には時間は5時をまわっていた。

夕食の前に、早速一風呂浴びると缶ビールを2本飲んで一息ついた。


1日の走行距離はおよそ500キロだった。


ガラス美術館から見る富山湾

廃止になった能登線珠洲駅跡

2011年9月12日月曜日

北陸の旅:(2)厄日かな?

福光ICから再び東海北陸自動車道に入る。
10分も走らないうちに北陸自動車道と交差する小矢部砺波JCTに着いたが、ここは直進してそのまま能越自動車道に入る。車は一気に高岡を走り抜けると氷見市に着いた。

ここでは道の駅氷見フィッシャーマンズワーフ「海鮮館」に立ち寄る。TVの旅番組などでしばしば紹介される富山湾の豊富な海の幸で有名なスポットだ。思ったよりも規模が小さく、入っている店舗やその品数も少なかった。
これなら近く(といっても10キロくらいはあるが)にある「御前崎海鮮なぶら市場」の方がずっと規模が大きい。
個人的な好みをいうと、魚類は苦手なので早々にここを出て能登半島を目指した。
氷見から七尾・和倉方面へは時間的にも距離的にも山道をとった方が早いが、せっかく日本海(富山湾)に出たことであるし、天気もよいので海を眺めながら走れる海岸線を行くコースを選んだ。
ずっと山の中を走り続けてきたので海を見るとほっとした気分になった。

走りながら時々現れるガソリンスタンドの価格の表示板に目をやる。ガソリンの価格は地域によって随分な差があるのだ。
七尾市に入ったところで、なんとレギュラーガソリンL133円の表示があった。先ほど給油したところはL145円だったのだ。なんということだろう。その差12円、12×35(L)差額420円。10%近く安いことになる。大したことではないと分かってはいてもショックは大きい。

ちょっとついてないなと思いながら走って、和倉から能登島へ渡る。時間に余裕もあるのでガラス美術館に立ち寄ることにした。
これまではいつも縦断(横断)する道ばかりを走っていたので、距離は随分長くなるが今回は海岸線に沿って島を周回することにした。

ガラス美術館に着くと、なんと閉館中だった。ちょうど展示換えの時期にあたってしまったようである。
何という不運!
仕方なく近くのガラス工房を見学した。しかし、ここもまた見事に作業は休憩時間。隣接する展示販売館をのぞいてみる。
薩摩切り子や江戸切り子のカットグラスもありとても気に入ったのだが、購入を決意するには「0」がひとつ多かった。
ついでなので、すぐ隣にある道の駅のとじま交流市場で土産物などを見て、時間も4時近くなったので今日の宿「セミナーハウス山びこ」に向かうことにした。

宿まではまだ1時間以上はかかる。

2011年9月11日日曜日

北陸の旅:(1)GSはどこだ

9月8日木曜日、7時30分過ぎに家を出る。
車はJimnyを使う。
軽自動車なので高速道路料金が安くなることと、荷物がたくさん積めることが決め手だ。

今回使用した車
洗面道具や着替えの衣類などとともにipad・ipodとルーターも一応持っていく。(宿でインターネット接続ができれば使える)
車載用の温冷庫も積み込んで飲み物も入れておく。これは土産物を買ったときに入れておくのにも大変便利である。

今回は菊川ICから東名高速道路に入った。交通量はそれほどでもなかったが、それでもやはり三ヶ日ICを過ぎて愛知県に入った辺りから混雑してきた。
最初は岡崎ICで1度高速を降りた。ETC割引を有効に利用するために100キロ程度の距離で刻んでいく。
8時59分に岡崎ICから再度高速道路に入って、豊田JCTから東海環状自動車道に進む。
ここはあまり交通量は多くないところだが、中央高速に接続する土岐JCTまでは結構車が多かった。
そのまま東海環状自動車道を進み、美濃関JCTから東海北陸自動車道に入った。岡崎ICから100キロを過ぎてきたところで、美並ICで再度高速道路を降りた。
燃料の残量が半分を切ってきていたのでこの辺りで給油もしようと思ったが、ICを出るとそこは山の中でコンビニがポツンと1つあるだけだ。近くにガソリンスタンドなどとてもありそうもないので給油はあきらめて、再度高速道路に入って五箇山ICを目指すことにした。

最初の目的地は五箇山にある相ノ倉などの合掌集落群である。
これまで白川郷の合掌集落は何度も見に来ているが、五箇山は1度も訪れたことがなかったのである。

ガソリンもなんとか保ちそうなので、そこで給油もすればちょうどよいと考えた。
ところがなんと、周囲の景色に目をやりながら走っていると、つい五箇山ICの出口を通過してしまった。
カーナビの目的地に今夜の宿を入力しただけで、経由地のセットをしておかなかったのが失敗であった。
しかたなく、今回も五箇山の合掌集落群はあきらめることにした。

しかし、いよいよガス欠の不安は現実的なものになってきた。次の福光ICまでは16キロ、燃料系はレッドゾーンに入った。なんとか保ってくれればよいが・・・。
という不安を抱えながらも、時間も12時を過ぎてきたということで、とりあえず城端SAで人間の燃料も補充した。

無事福光ICにたどり着いたが、そこは田園地帯のど真ん中。ガソリンスタンドなど見あたらない。(高速道路のICの近くには必ずGSはあるものだと思っていたのは大きな間違いであった)
美並ではあきらめたが、ここではそうはいかない。いつ車が止まるか分からないのである。できるだけ交通量が多くなりそうな道路に目星をつけて、2キロほど走るとやっとガソリンスタンドに出会えた。

危ない橋は渡るものではないと悟ったつもりだったが、恥ずかしいことにこのあと2度も同じことを繰り返した。

2011年9月7日水曜日

コオロギがやって来た

昨夜、寝室にコオロギがやって来た。

海岸近くの家から今の家に移り住んで十数年になる。
毎年夏には蚊はけっこう家の中にも入り込んでくるし、ゴキブリも数回は登場する。

しかし、コオロギが家の中に入り込んできたのは初めてだ。それも2階にある私の寝室にである。
普通の大きさに成長したコオロギならまだしも、1センチにも満たない小さなコオロギだ。
家の中に入り込むのも大変だろうと思うが、2階までの階段をどのよう上ったのだろう?
私に置き換えたとしたら富士山にでも登るようなものである。

ベランダの大きなガラス戸を開けたときに入って来たのだろうか?
それにしても、ベランダに上がるなどは、階段を登るよりもはるかに困難であろう。
庭から二階のベランダとなると、これはもう私がマチュピチュに行くみたいなものだ。

どのようにして来たものかはわからないが、健気に部屋の中を飛び跳ねていた。
そのままにもしておけないので、なんとか上手に捕まえて外に出そうとしたがなかなか捕まらない。

かわいそうだが仕方なくティッシュペーパーで押さえつけてゴミ箱行きにしてしまった。(合掌)


寝室にまで秋がやって来たのだった。

2011年9月6日火曜日

ちょっと公園までの旅:秋が来た

9月6日:火曜日
台風で何日も中断していたため、久しぶりの散歩だった。
これまでと変わらず5時に家を出ると辺りは薄暗かった。風はサラッとさわやかで冷たくさえ感じられた。半袖のTシャツのから出た腕に鳥肌が立つくらいだった。

30分程歩いたところで後方の山の稜線から日が昇ってきた。
少し雲は懸かっているが空は透き通るように青く、数日前とは明らかに違う。
まさに秋の空だった。

周りの景色もくっきりと色鮮やかで、これまでのピンボケした写真のような景色から、高感度カメラで撮影した写真のようにくっきりとした景色に変わっていた。

台風が去るとともに、夏の空気から秋の空気に、すっかり入れ替わってしまったようだ。

読書の秋! 

食欲の秋!

昨日「松茸が食べられる宿」を紹介するmailが来ていた。

「・・・そぞろ神のものにつきて心をくるはせとるものてにつかず・・・」
早速出掛ける計画を立てる。
といっても、週間天気を調べて、休日がかかって(高速道路が半額になるから)天気がよい日を探すだけだが・・・宿は何とでもなる。(でも今回に限り、松茸が・・・が条件だが)

2011年9月4日日曜日

思い出への旅:指先が繋がった?

小学校5年生の時だったと記憶している。

その日もいつものように座敷に工具を持ち込んで何かを作ろうとしていた。(何を作っていたのかの記憶は全くない)
その時使っていたのは刃の長さが10センチくらいのナイフで、刃先が大工道具の平鑿(のみ)のような形をしていた。

そのナイフの先を突き立てるようにして何かを押し切ろうとしたのだった。(それが何だったかもやはり覚えてはいない、その後に起こったことが重大すぎた)

その物を左手で支えて、それにナイフを立てると思いきり体重をかけた時だった。その物がグラッと傾いてナイフの先が支えていた左手の中指の指先を突き刺した。
指先から血が噴き出したので、あわてて指先を口にくわえて縁側に走った。(瞬間、座敷が血だらけになると怒られるだろうと思ったのだ)

縁側に出て外に首を突き出すと、恐る恐るくわえていた指を口から出して見た。
真っ赤になった1センチくらいの指先が今にも取れそうにつる下がっていた。そこには白く指先の骨が見えていた。

あわてて、その取れそうになった指先を元の位置に押さえつけて口にくわえると、急いで救急箱からガーゼと包帯を取り出してきた。
指先をガーゼで押さえつけるように覆うと、その上から包帯でぐるぐる巻きにした。

とりあえずそこまでしたところで、座敷の血を拭き取って、広げていた物を片付けた。
どうしたものかと思案したが、指先が取れそうになっているなどと親に言ったら怒られるだろうと思って、ちょっと指先を切っただけだと言っておいた。


出血を抑えるために包帯で指をきつく縛っていたので、そのままでは血流が止まって指がだめになってしまうと思い、落ち着いたところでもう一度縛りなおすことにした。
指先が取れてしまわないように慎重に包帯をとくと、キズ口の周辺をもう一度きれいにして、ガーゼと包帯を交換した。
血流が悪くなって紫色になった指は全体が痺れるようで感覚がなかったが、一応指先は元の位置に貼り付いていた。

3カ月くらいはそんなふうにして、自分で包帯を取り替えていたように思うが、もっと長かったかも知れない。
交換のたびに指先の様子を心配しながら観察した。
最初は紫色だったが、しだいに色が薄くなって、白っぽくなっていったので少し安心した。紫色のままだったら指先が壊死してしまうと思っていたからだ。

なんとなく指先は付いて、血が通っているような感じになったが、指先のその部分だけはいつまでも色が白かった。やはり血流が悪いのだろうと思った。

感覚も全くなく、針を刺しても痛くも痒くもなかった。血流はもどってきても、神経は切れたままのようだった。

全く感覚のない指先を保護するためもあって半年ほどは指に包帯を巻いていたが、相変わらず痛くも痒くもないながらも、なんとなく物に触れる感覚がもどってきたところで包帯をするのをやめた。

しかし、その指先に、他の指と同じような感覚がもどってくるのにはもう4~5年かかった。

人間の体もかなりトカゲに近いと思った。(どうせならトカゲのように再生すればいいのに・・・)


今でも左手の中指の先に、指の径の3分の2程が切れた傷跡がくっきりと残って、指先の形も少しゆがんでいる。




2011年9月1日木曜日

思い出への旅:花火

子供の頃によく遊んだ花火は「リュウセイハナビ」というものだった。漢字ではどう書くのかは知らなかった。今でもわからないが、竜勢だったのかな?などと勝手に想像する。

30センチほどの長さの竹籤の先に火薬を詰めた4~5センチの紙の筒が付いている。そこに火を点けると火を噴きながら空中に10数メートル飛び上がって破裂するものだ。

ただそれだけだが、ヒューっと音をたてて飛んでいくのと、それがバンッと破裂するのが爽快だった。


ある時、それがもっとずっと高く飛び上がって大きな音を立てて破裂するようにしたいと思った。

今よりも高く飛んで大きな音を出すには、まず火薬の量を増やせばいい。単純にそう考えた。
早速花火を買ってくると、そのうちの5本ほどの筒の部分をほぐして火薬を取り出した。1本に入っている火薬の量はちょっとだけで、5本集めてもほんのわずかしかなかった。

こんなに少ない量では一瞬で燃え尽きてしまって高くは飛ばないのではないかと心配で、1度試してみることにした。
火薬を詰めるものとして、元の花火の筒と同じくらいの大きさの物を探して、鉛筆のキャップに目をつけた。
集めた火薬をキャップに入れると半分にもならなかったが、とりあえずそれだけでどれくらい燃えるかやってみることにした。

早速マッチを持ってきて、右手でマッチを擦って火を点けると、キャップを左手に持ってそれにマッチの火を近づけた。

シューっと燃えると思っていたが、とんでもない間違いで、バアーンという大音響をたてて一瞬で爆発した。火薬が飛び散って手や顔などあちこち小さな火傷はしたが、左手の指も全部ついていたのでほっとした。

大きな音にびっくりした母親が走ってきたが、ちょと花火が爆ぜただけだととぼけてやり過ごした。
これに懲りて、それからはもう二度と火薬のいたずらすることはなかった。