2011年10月29日土曜日

ちょっと公園までの旅:もう冬なの?

ここ数日、朝夕はめっきり冷え込むようになった。
が、私は相変わらずポロシャツ1枚でやせ我慢(?)をして過ごしている。


実は、毎日の散歩道にはもうサザンカが咲き出してきている。
サザンカといったら、 ♪サザンカ~ ♪サザンカ~ ♪咲いた道~  冬の代表のような花だ。



もう冬が来たと言うことなのだろうか?

まだ立冬にもなっていないはずだが。

今日も、朝は冷え込んだが、日中の最高気温は25℃を越えたし、我が家ではまだ、みすぼらしいながらも健気にアサガオが咲いているというのに・・・!




それはそれとして、明日からまた天気が崩れそうだ。紅葉狩りの旅に出ようかと思っていたが、また延期だ。
先週も天候が崩れて延期にしたし、このまま出掛けるチャンスを逃してしまうことにもなりかねない。

期日の短縮や目的地の変更も考えようか???

あれこれ悩んでいると日本アルプスの紅葉は里に下りてきてしまう。

2011年10月25日火曜日

ちょっと公園までの旅:柿

最近、特に夕方の散歩の時に、こんなにたくさんの柿の木があったかなあ?と不思議に思ってしまうほどに柿の木が目に入る。

秋の深まりとともに柿の木などの落葉樹が徐々に葉を落として周囲の景色は少しずつ寂しくなってきた。

そして、葉の陰に隠れていた柿の実がその姿を見せ始め、まだ緑だった実が日毎に赤く熟してきている。
どことなく暗く沈んだ田舎の夕暮れの景色の中では、夕日に照らされた柿の実が一層赤みを増して際だって見える。


私は、秋の夕暮れ時の農家の庭先に実をつけた柿の木がある景色が好きだ。
これといった理由はない。
ただなんとなくしみじみと秋を感じてしまうのである。
なにかしら幼児期の記憶に重なり合うものがあるのかもしれない。

とにかく、私の中にある秋のイメージが凝縮しているような気がする。

あっという間に日が沈んでしまう前のほんの一瞬の情景であることも一因だろうか。




ところで、わたしは柿は食べるのももちろん大好きである。

最近の果物の媚びたような甘さとは違う控えめな甘さがよい。
どちらかと言えば、実が堅めで歯ごたえがあるほうがいい。

柿はお酒を飲んだ後の体にもいいとか・・・。
酒飲みの私には、これも柿を好んで食べるもう一つの理由かもしれない。
(無意識のうちに体が欲しているかも・・・?)


例年この時期になると、柿が実ったからといって持ってきてくれる人が何人かいる。そのため、店で柿を買うことはあまりないような気がする。
ありがたいことである。

2011年10月21日金曜日

駿遠線の旅:桜ヶ池駅跡~西千浜駅跡 (by car)

桜ヶ池駅から池新田駅方面
桜ヶ池駅から池新田駅方向に線路跡が残っているが、それもすぐ先で川にぶつかって途切れている。その先は国道150号線と並んで線路が延びていたはずであるが、道路沿いにできた店舗などに呑み込まれている。

桜ヶ池駅から1キロ前後で池新田駅である。
池新田駅の跡は150号線が接続する道路と立体交差する所である。

池新田駅跡・左側が150号線

ここから先は国安海岸駅までずっと150号線に沿って走っていたようであるが線路跡とはっきり分かるところはあまりない。所々にそれらしき狭く真っ直ぐに延びた空き地があったり、150号線沿いに真っ直ぐに測道のような農道が延びていたりする。



池新田駅から2キロくらいで塩原新田駅に着く。ここには駅の跡を示す標識が設置されていたが、他には周辺に当時の駿遠線を偲ばせるようなものは見あたらなかった。





塩原新田駅から2キロちょっとで合戸駅である。
ここも辺りにそれらしい雰囲気は何もなく、ただ合戸駅の跡を示す標識があるのみだ。






合戸駅の次は千浜駅である。
この間は1キロ程だ。その先も、西千浜駅まではほぼ1キロ間隔で駅がある。
ここも観光用に作られたような千浜駅の跡を示す表示板があるだけだ。



表示板には次の駅は西千浜になっているが、その間の菊川東岸には夏季に海水浴客の乗降用に臨時に設けられた国安海岸駅があった。

臨時の国安海岸駅が設けられた辺り
写真の細い道路は駿遠線の線路跡のように思える。

国安海岸駅のすぐ先にある菊川を渡るとまもなく西千浜駅である。
川にはもちろん当時の橋梁もないし、その跡を伺わせるようなものもない。



西千浜駅跡にも観光用に作られた標識があった。



ここは駅跡の前後に当時の線路跡が道路となって残っていた。

国安海岸・千浜方面
新三俣方面

次は新三俣駅だ。

2011年10月20日木曜日

駿遠線の旅:地頭方駅跡~桜ヶ池駅跡 (by bicycle)


地頭方駅を出て少し行くと線路跡は右に曲がりながら家並みの間を抜けて、駿河湾の海岸線を後にして遠州灘に面した地域に出る。



ここまでが線路跡が自転車道として整備され利用されている部分である。


ここでは広い道路が交差していて、線路跡も二本の広い道路を何度も横切って堀野新田駅跡に至る。



堀野新田駅跡
堀野新田駅のあった辺りも住宅地になってきているが、線路跡は残っていて地域の生活道路として利用されているようである。

堀野新田駅を出ると、線路跡はアップダウンはあるがほぼ一直線に遠州佐倉駅を過ぎる辺りまでのびている。

堀野新田駅跡から見た玄保駅方向


堀野新田駅からやや登った後、急な下りになり小さな川を渡る。今ではここには橋もなく、鉄道の橋が架かっていたような形跡も見つけられなかった。





川を越えると線路跡は今度は緩やかな登りになり、500メートルほどで玄保駅跡に着く。



玄保駅のあった所
玄保駅から先も線路跡にできた道路は相変わらず一直線であるが、登りの勾配が急になる。
当時の車両にとってはなかなかの難所だったように思う。

玄保駅跡から見た遠州佐倉駅方向



遠州佐倉駅が近づいたところで道路はセンターラインのある広い道路になり両側には歩道も整備されている。浜岡原子力発電所から落ちるお金でこの地域のさまざまな施設の充実ぶりは桁違いである。

遠州佐倉駅があった辺り
遠州佐倉駅を出て勾配を登り切った所で線路跡はこの道路から別れて左側の藪の中に消えていく。この小高い所を下った先にあったのが桜ヶ池駅だ。




桜ヶ池駅跡から見た佐倉駅方向
この駅の近くには「桜ヶ池」という池があり、毎年秋には「お櫃納め」と呼ばれるめずらしい神事が行われ多くの観光客で賑わう。
駅名はこの池の名からとったものだろう。

このブログの8月『思い出の旅:カブトムシ』に登場した駅でもある。

この道を真っ直ぐ行くと桜ヶ池に出る


ここを出ると次は池新田駅である。



今回は自転車で、相良駅跡からここ桜ヶ池駅跡までの駿遠線跡を走ってみた。








































2011年10月19日水曜日

芸術の旅:資生堂アートハウス

<資生堂アートハウス>

資生堂アートハウスから秋の企画展の案内のメールが届いていたので見学してきた。

JR掛川駅から西へ500メートル程の新幹線の線路沿いに資生堂の工場がある。その敷地内に綺麗に刈り込まれた芝生の庭が広がった一角があり、そこに資生堂アートハウスがある。

今回は「うるし、麗し 五人の人間国宝による漆芸展」と銘打った作品展である。毎回展示されているのは20点前後と数はそれほどではないがなかなか見応えのある作品が多い。

今回もそれぞれに特徴があり楽しく見学できた。
(以下展示作品の一部、資生堂アートハウスホームページより)







今回は常設展示も夏に訪れた時とは入れ替わっていた。



<資生堂企業資料館>

同じ芝生の庭の5~60メートル離れた所には資生堂企業資料館もあり、創業時から現在までの資生堂のさまざまな製品やポスターなどがすべて展示されていて、資生堂の歴史を感じ取ることができる。

昔懐かしいものが数々あって、人それぞれに思い出に浸れる場所でもある。


いずれも入館は無料というのも魅力である。

2011年10月16日日曜日

ちょっと公園までの旅:野菜

天候が回復したので散歩に出掛けた。
風は爽やかなのだが、雨上がりで空気が澄んでいる分だけ日差しは強く蒸し暑く感じた。歩き始めるとすぐに額には汗がにじんできた。
こんな日はまだTシャツ短パンの方がいいと思った。(長袖ポロシャツにジャージのパンツだった)

今日も散歩の道筋にある畑で農作業をするご夫婦に出会った。
日頃しばしば出会うので、すっかり顔なじみになっている。

これまでも何度か畑で栽培している野菜をいただいていて、先日も「いつでも好きなだけ持っていっていいよ」と言われた。
もう市場に出荷したあとの余りだという。
きれいな野菜だけを出荷して、少しでも虫食いがあるものは出荷しない。
厳しく農薬の使用が制限されている減農薬で栽培しているのでどうしても虫が付きやすいのだそうだ。
帰り道とはいえ、家まではまだ1キロ以上はあるところなので、野菜を抱えて歩いて行くのは大変である。その時に「明日にでも車で貰いに来ますよ」と言って別れたままになっていた。

そこで、今日は家にもどると収穫のための鎌も持ってすぐに車でいただきに出掛けた。


腕に一抱えほどを収穫して家にもどった。
さまざまに料理して食べると、一体幾日食べ続けることになるのだろうか。

それにしても、たとえ毎日三食食べ続けたとしてもあの畑のものを全部は食べられないだろう。
また、畑の近くの人達みんなでいただいたとしてもとても食べきれる量ではない。
大方は次に栽培する野菜のための畑の肥料になってしまうのだろう。

2011年10月14日金曜日

駿遠線の旅:須々木駅跡~地頭方駅跡 (by bicycle)

須々木駅を後にして真っ直ぐな線路跡をしばらく進むと自転車道は緩やかに下りながら海岸線から離れ、山側に向かってカーブしつつ民家の生け垣の間を走り抜ける。
途中にはいかにも線路沿いの並木といった感じの桜並木のトンネルもある。
しかし、木の大きさから考えると、これは駿遠線の廃線後に植えられたように思われる。

須々木~落居間の桜並木
家並みを抜けると県道と交差し、やや登りになった後、線路跡は山に沿った小高いところを真っ直ぐに伸びている。左方向を見下ろすと先ほど交差した県道が併走している。
5~6百メートルも走ると落居駅の跡に着いた。
ここにも駅名の表示板があった。

落居駅跡から後方(→須々木駅方向)を見る
ここの表示は左からの表記だ
落居駅跡から進行方向(→地頭方駅方向)を見る
この辺りは左右どちら側もそれぞれずっと変わらない景色が続く。
小高いところを走ってはいるが、海岸線からは200メートルあるかないかの距離である。海抜は10メートル前後だろうか?民家はこの線路跡よりも海側にあり、地震があって大きな津波がくれば全戸が呑み込まれかねない。
避難場所や避難経路の確保は急務の地域だ。

1キロ程で地頭方駅の跡に着いた。ここは貨物などの積み卸しも行われていて、ちょっとした駅前広場のようなスペースもあった駅である。

周辺にはたくさんの桜の木も見られ、あちこちにベンチも置かれている。今でも地域の人達の憩いの場となっているようである。

地頭方駅前



地頭方駅の跡地には民家が立ち並んでいる


地頭方駅を出ると線路跡は大きく右にカーブして駿河湾に面した海岸線を後にして遠州灘に面する旧浜岡町(現御前崎市)に向かう。

線路跡はこの直線の先で大きく右にカーブする