2011年8月31日水曜日

ちょっと公園までの旅:また稲刈り


「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみわがころもでは露にぬれつつ」ふと百人一首の歌が浮かびました。




稲作農耕文化の日本の秋を象徴するような典型的な農村の田園風景です。

今ではこのように、刈った稲穂を掛けて干しているところも少なくなりつつあります。


できたら実りの時期を迎えた棚田の風景も見に行ってきたいと思います。




2011年8月30日火曜日

ちょっと公園までの旅:もう秋

ここ数日、朝夕ずいぶんさわやかになってきました。

特に、朝は家を出たときにひんやりとした感じがします。


歩いていると、風のにおいも違ってきました。
風がサラッとして、乾いた草の香りがしました。


夜になると、どこからか祭囃子の練習をする笛や太鼓の音が聞こえてきます。
開け放った窓から涼しい風とともに聞こえてくるこの音も秋の訪れを実感させます。



1年の中でいちばんよい季節がやってきました。



2011年8月27日土曜日

ちょっと公園までの旅:稲刈り

実りの秋になった。

いつもの散歩コースの周りに広がる田圃でも早いところはもう稲刈りが始まった。
まだまだ周辺に田圃が広がっているこの辺りでは、この時期になると稲刈りの農業機械の音が響いてくる。


今ではほとんどが兼業農家で、田植えや稲刈りといった農作業は勤め先が休みだと思われる週末に行われることが多い。
というわけで、週末は朝から辺りに農作業の機械の音が響き渡る。

機械も様々なものがある。田植えはもちろん、周囲の畦の草刈り、田圃に肥料を蒔く作業、そして稲刈りから脱穀までして、藁を細かく切り刻むところまで一気に機械でやってしまう。
広い田圃もあっという間に稲が刈り取られてしまう。

各農家によって栽培する品種や植え付けの時期が異なるため、早いところと遅いところでは1カ月以上は時期がずれる。

我が家の周りの田圃では先週末から稲刈りが始まり、2階ののベランダから眺める田圃の景色がまだら模様になってきた。


そういえば田圃でしきりに雑草をついばんでいたカモたちはどこへ行ったのだろうか?



ちょっと公園までの旅:とんぼ

今日(26日夕方)は川沿いの道を歩いているとたくさんの赤とんぼが飛び交っているのに出会いました。ナツアカネだろうか?アキアカネだろうか?
今日は数日ぶりに晴れて暑くなったが、秋が来たなあという感じがした。

毎年8月下旬になると、この川沿いには下の写真のような黒いとんぼがたくさん現れる。



赤とんぼより一回り小さい真っ黒なトンボだ。
気を付けて辺りを見回すとこのとんぼもずいぶん多くなってきていた。


今年は我が家の庭でも例年よりも多くとんぼが見られたような気がする。
滅多に見られない大きなオニヤンマも飛んできたし、最近すっかり見ることが少なくなった糸トンボをしばしば見かけた。

糸トンボは体長3センチ前後の針金のように細いトンボで、とても鮮やかな色が魅力的だ。
子供の頃は、その色の綺麗な糸トンボを見ると、夢中になって追い回したものだ。

さすがに今ではもう追い回すことはないが、懐かしくその姿を眺めた。
































2011年8月26日金曜日

ちょっと公園までの旅:ラジオ体操

今朝4時30分に起きてカーテンを開けると、まだ真っ暗といった感じで無数のコウモリが飛び交っていたが、東の空には明けの明星が光っていた。久しぶりに雲が切れて青空が見られそうだった。

5時近くなって家を出ると、朝の空気はひんやりとして肌に心地よかった。朝の空気も秋になったことを感じさせた。
日の出が遅くなってきたせいなのか出会う人が少なくなった。私もいつ頃まで早朝の散歩を続けようか・・・。

帰りに家の近くまで来ると、ドラッグストアの駐車場に近所の小学生とそのお父さんやお母さんが集まっていた。一瞬なんだろうと思ったが、いつも夏休みになると行われている朝のラジオ体操会だと気づいた。

それにしても今までは見かけなかったが、例年夏休みも終わりに近づいたころに実施していたのかと思ったりもした?

2学期のスタートに向けて、怠け癖の着いた生活習慣を、早起きの学校モードに戻すための行事なのだとなんとなく納得した!


2011年8月25日木曜日

思い出への旅:ウミガメ

10数年前までは、今住んでいるところよりも2キロほど海に近い所に住んでいた。
家から海までは200メートルくらいだ。
数キロに渡って松林が続き、遠浅の海岸には広い砂浜が広がっていた。まさに、白砂青松という表現がピッタリの代表的な日本の海岸線だ。
当時、広い砂浜は私たち子供の絶好の遊び場で、夏休みともなれば1日中海で過ごす日もあった。

遠浅の海に広い砂浜はウミガメにとっても絶好の産卵場所であったらしく、初夏から盛夏にかけてはしばしばウミガメが上陸し、砂浜に穴を掘って産卵をしていった。

海に遊びに行くと産卵のための上陸したウミガメの足跡があり、足跡の行き着く所を少し掘ると産み落とされた卵をたくさん見ることができた。
真っ白で形はまん丸、ちょうど白いピンポン玉が何十個と転がっているようであった。
触ってみると表面はぶよぶよとして少し柔らかく、砂浜で落としても割れるようなことはなかった。
いくつか取り出して、ボール代わりに投げ合って遊んだりもした。
そのうちに捕り損なって手の中で割れてしまうと、にわとりの卵よりも一回りほど小さな、やや色の濃い黄身が出てきた。
これだったらにわとりの卵と同じように食べられそうだと思って、いくつか家に持ち帰って目玉焼きにして食べてみた。十分食用になる味だった。
(しかし、その後はウミガメの卵を取り出して食べたことはない)


ある時、孵化した子ガメがたくさん砂から這い出して一生懸命に波打ち際に向かって這って行くのに出会った。
その時、どうしてどの子ガメもみんな海に向かって這って行くのか不思議に思った。1匹も他の方向に行くことがない。波の音が聞こえるのだろうか?波打ち際に向かって傾斜しているからだろうか???

家に帰って両親に聞いてみたが、どうもはっきりしない。
そこで、自分で確かめてみようと考えた。とりあえず家の庭でウミガメを孵化させてみて、海の方向に這い出すかどうか調ることにした。親に聞くと、ウミガメの卵はおよそ2カ月(60日)で孵化するということだった。
早速実行することにして、産卵のために上陸するウミガメを待った。

幾日待っただろうか。やっとウミガメが来て、5個の卵を掘り出してきた。
そこからが大変だった。まず卵を埋める場所選びだ。できるだけ海岸の産卵場所に近い状態にするために、南向きに開けた日当たりの良い場所を選んだ。

場所が決まると、そこに直径30~40センチ、深さ50~60センチの穴を掘った。子供にとっては大変な作業だ。
(家族は、また何か変なことをしているくらいに思っているのか、ほったらかしで全く見向きもしない)
次は砂だ。土の中に埋めたのでは固まってしまって子ガメが這い出せないだろうと考えて、海岸の砂を持ってくることにした。バケツを持って家と砂浜とを何往復もした。
やっと卵を埋め戻すと、埋めた場所の印として棒を立てた。そして、カレンダーにしっかり丸印を付けた。
これから60日待つのだと・・・。

それからは毎日埋めた場所を観察しながらカレンダーに×印を付け続けた。
50日が過ぎた頃からそわそわと落ち着かなくなった。夜の間に這い出して来てどこかに行ってしまうといけないと思って、埋めた場所の上を大きく金網で覆った。

やっと60日目になったが変化はない。
60日が幾日過ぎただろうか。随分長かったように思うが、気の短い私のことだから、実際はほんの2日か3日だったのだろう。
待ちきれなくなった私は、意を決して埋めた場所を掘り返すことにした。
大きなスコップを持ちだして、埋めた場所を思い切り掘り始めた。一心不乱に掘り進めていると、スコップの先に何かが当たった。
あわててスコップを置いて、手で掘った。
割れた卵があった。中に子ガメがいる。が、スコップの先で押しつぶされて割れた卵の中で死んでいた。
もう1日か2日待っていれば子ガメが這い出してきたはずだった。

掘った穴はそのまま埋め戻され、埋めた場所の印に立てていた棒きれはそのまま子ガメの墓標になった。

その後再びウミガメを孵化させようとすることはなかった。


今ではウミガメの産卵などすっかり見られなくなり、珍しくウミガメが産卵に来るとテレビのニュースになったりする。


かつてウミガメが上陸した白砂青松の海岸は、今では海の家が乱立し、大きな防潮堤が造られ、砂浜は半分埋め立てられて広い有料駐車場になっている。

海岸で遊ぶ子供たちを見ることも滅多にない。







2011年8月24日水曜日

ちょっと公園までの旅:油田の里公園

「油田の里公園」

自宅から3.5キロほどの所にある公園で、私が毎日朝夕に散歩に行くところです。
太平洋側で唯一石油が採掘された所で最盛期には周辺のいくつもの油井から石油が汲み上げられていたようです。

それを紹介する資料館がある公園で、下の写真は復元した石油の手掘りの小屋です。




小さな公園ですが、春は梅に桜そして藤の花が咲きます。10数匹の鯉が泳いでいる池もあり、初夏には菖蒲、そして睡蓮の花も楽しめます。



池を囲むようになだらかな起伏のある芝生の広場が広がり、日中は多くのお年寄りがグランドゴルフに興じています。




また、上の写真のようにレンガで造られた大きなバーベキューの炉もいくつもあって、申し込みさえすれば誰でも無料で使うことができます。鉄板などの道具も無料で貸してくれるものがあるようで、休日は家族づれなどのグループでにぎわいます。


公園から200メートルほどの所には下の写真のような今でも石油が出る油井が残っており、たまに原油を汲み上げるような催しもあるようです。

非常に良質の原油でそのままでもランプや石油ストーブに使えるし、原付バイクの燃料にして走らせる試みなどもしていたのがテレビで放送されたようにも記憶しています?


興味のある方は見に来てください。

場所は、インターネットで「油田の里公園」で調べられます。

ちょっと公園までの旅:散歩

毎日決まった時間に散歩をしていると、しだいに顔なじみが増えてくる。

私と同様に健康のために散歩をしている人、農作業をする人、犬の散歩をする人、孫のお守り(散歩)をする人、庭の手入れ(草取りなど)をする人、ゴミ出しをする人等さまざまである。

私の場合、時期・季節によって散歩の時間が変わるので、季節によって出会う人の顔ぶれも多少変化する。


そんな中で、ほぼ毎日朝夕出会うご夫婦がいる。
おじいさんは朝晩必ず犬の散歩をしている。おばあさんは孫のお守りをしたり庭いじりをしたりしている。

ふと気になって考えてみると、小さな子供と遊んでいたり散歩をしたりしているのはほとんど(9:1)女性で、犬の散歩をしているのは(7:3)男性である。  ( )内はおおよその割合。

私自身はおじいちゃん子だったので思いもよらないことだったが、なんとなく小さな子がおじいちゃんよりもおばあちゃんになつく訳が分かったような気がした。



2011年8月22日月曜日

旬の味

昨日近くの(と言っても8キロ以上はあるが)産直の店に出掛けた。

お目当てのものはなかったが、梨と蜜柑を買ってきた。

10日ほど前に寄った時にも梨は出ていたが、まだ早すぎてそんなにおいしくないだろうと思って買わなかった。
しかし今回は、もうそろそろ季節も秋らしくなってきたし、秋を味わうのもいいと思って買ってみた。

そして、辺りを見ると、なんと蜜柑があった。今頃蜜柑なんてと思いながらもビニル袋に入った蜜柑を手にとってみるとハウスみかんというラベルが貼ってあった。日頃ハウス栽培なんて邪道だ。なんといっても露地ものがおいしいと信じ込んでいる私だが、この時期の蜜柑のめずらしさに負けて、勢いで買ってしまった。
家に帰って早速食べてみた。予想していたほど酸っぱくはなかった。
程良い酸味があって、それなりの甘みもあった。この時期でこれくらいの味ならまあ許せると言えるが、旬のものに較べると、全体的に味が薄い感じで、やはり食べ物は旬の露地ものがいちばんだと再認識した。


ところで、今回のメインの梨だが、みずみずしくて適度の甘みがあり、食感も申し分なかった。梨の時期だ!と思った。初秋の味がした。

まだこの後には、葡萄があり、そして栗に柿と秋の味の代表格ひかえている。早くおいしい柿が食べたいものだ。


そろそろ旅行に出掛ける準備をしよう!









2011年8月21日日曜日

思い出への旅:カブトムシ

これも小学校3年生の時のことである。

この年頃の男の子にとってカブトムシというのは魅力的なものであり、私にとっても例外ではなかった。
誰に聞いたのかは記憶いないが、桜ヶ池にはカブトムシがいっぱいいるという話を聞いた。
(桜ヶ池というのは家から12~3キロほどの所にある小さな池で、メジャーではないが、「お櫃納め」という珍しい神事で有名で、秋に行われるこの神事は、毎年地元のテレビでも放送される)

早速近所に住む同級生3人でそこにカブトムシを捕りに行こうということになった。カブトムシを捕るのは朝早い方がよいということで、できるだけ早く出発することにした。
交通手段は軽便鉄道である。
今はもちろん廃線になって、当時を知る者でなければその形跡さえもわからないが、その頃はこの地域に住む人たちの大切な足であった。

10数キロの距離であるが1時間近くかかったような気がする。

やっと桜ヶ池の停留所(駅)についたが、池まではまだ歩かなければならなかった。池と言いながら小高い山の上にあるのだ。
10分程歩いて、やっと池にたどり着くとさっそくカブトムシ探しを始めた。池の周りの藪の中を這い回るようにして、やっとひとり2~3匹ずつのカブトムシを捕まえることができた。
いっぱいというほどではないが、十分満足できる成果だった。

遊び疲れて、家から持ってきたおむすびをほおばったところでそろそろ帰ろうということになった。
朝降りた停留所にもどったが、つぎの便はいつ来るか分からない。もしかすると今日はもう来ないのかもしれない。なんといっても1日に数便しか走らない超ローカルな軽便鉄道である。

待っていても仕方がないので歩くことにした。が、どこをどう歩いたらいいのかも分からない。
線路の上を歩いていけば間違いなく着けるはずだということになり、朝来た方向に向かって歩き出した。
しかし、いくら歩いても前方には同じような線路が延びているだけで、これで家に帰り着けるのだろうかと不安になった。逆の方向に歩いているのではないかとも思った。
不安にかられながらも歩き続けていると、遠くに高く伸びた松の木が見えた。(海だと思った)無意識のうちに足早になっていた・・・海が見えた!これで帰り着けると思った。
まだ、全行程の半分も来ていないが、ここから先は見慣れた海の景色を見ながらの道である。まちがいなく帰り着けるという確信があった。

辺りが薄暗くなった頃町の家並みが見えてきた。
やっと線路からはずれて見知った通りに出ると、両側の家々には灯りが点っていた。

こんなに遅くまで何をしていたのかという家族に、カブトムシが入った虫籠を誇らしげにさしだした。




2011年8月20日土曜日

思い出への旅:水は電気を通す?

これも確か小学校2~3年生の頃のことだが、ぬれた手で電気製品を触ると感電するから気をつけろと親に言われた。水は電気を通すと言うのだ。


本当だろうか?水は電気を通す?

早速、自分で確かめてみようと思った。
考えた方法は単純なものだ。
① 適当な長さの延長コードを持ってくる。
② そのコードのコンセントに差し込む側の逆の部分を分解してコードを2本に分ける。
③ 洗面器に水を入れてくる。
④ コードをコンセントに差し込み、2本に分けたコードの一方を洗面器に入れる。
⑤ もう1本のコードを右手で摘む。
⑥ 左手を洗面器に入れる。
これで完璧だと思った。
水が電気を通すならば、手を洗面器に浸けたときにしびれるはずだからだ。
これまでも電気器具をいたずらしていて何度もしびれたことがあるので、人の体が電気を通すことは分かっている。

早々に準備に取りかかり、③まで準備をしたところにちょうど親が来て、何をしてるのかと言うので、これからしようとしていることを一通り説明した。
すると、そんな馬鹿なことをすると死んでしまうと言われた。

さすがに死ぬのはいやだと思ったので、自分の体の代わりに豆電球を使い、電源は乾電池にして実験をしたが、豆電球は点かなかった。

最初に考えた方法を試したい衝動に駆られたが、その時はなんとか思いとどまった。

実行していたらどうなっていたのだろう?







ちょっと公園までの旅:カブトムシ

普段はあまり人がいない(時々散歩のお年寄りに会うが・・・)公園だが、この時期の週末には必ずと言っていいほど親子連れに出会う。それも若いお父さんと小学校低学年くらいの男の子だ。

今朝は、水道のところで歩いて汗になった顔を洗っていると、不意に後ろの方から「おはようございます。朝も歩いているんですね。」と声をかけられた。振り返ってみると、夕方の散歩の時に時々出会う、途中の橋のところでつりをしている親子だ。
「おはようございます。カブトムシは捕れましたか?」
(この時期に早朝の公園に来ている男の子はみんなカブトムシ目当てなのだ)
「全然だめです。僕らが子供の頃はいっぱいいたんだけどなあ。」
確かに最近はカブトムシを見かけることがめっきり少なくなった。


毎年夏の朝の散歩時には何匹ものカブトムシを見かけるし、自宅のベランダに飛んで来たことも2度ほどあった。
しかし、今年はまだ2匹しかみていない。それも、1匹はカラスに食べられて頭だけになったもので、もう1匹は道路で車に轢かれてしまったものだ。

もう今年の夏は元気なカブトムシに出会うことはなさそうだ。


2011年8月19日金曜日

思い出への旅:プラモデル

隣接する市の博物館でプラモデルに関する特別展が開かれているので見に行って来た。

戦車に軍艦・戦闘機・レースカーなどの昔懐かしいモデルがたくさん展示されていて、その中には私も作ったモデルも多数あり、小学生の頃のことが懐かしく思い出された。

当時の私は毎日のように暇さえあれば近くの模型店に出掛けていた。
プラモデルなどを買うために、小学校2年生の頃から小遣いは、毎日ではなく1ヶ月分をまとめてもらっていた。それで気に入ったプラモデルなどを買うわけだ。
ほしいものが高価で2カ月分をためて購入することもよくあった。
当然のようにお年玉などはすべてプラモデル等の模型か、それらの製作に使う道具を買うのに遣ってしまった。

そのせいで、こつこつためてドーンと遣う、無駄遣いはしないなど、それなりの経済観念は幼い頃からしっかり身についた。(よいことかどうかは自分では分からないが・・・)

空き缶をつぶして切り出したブリキを使ってブザーを作ったり、木ぎれを利用して船を作り、それにモーターを取り付けて電動で動くようにしたりと、思い出してみると電気コードの接続のためにハンダごても買いこんで使うようになったのもその頃である。

ブザーを作るときには、電磁石の部分の磁力の強くするために、エナメル線の太さや長さ、巻き方の違いによる磁力の強さの違いなども自分で調べたりした。
高じて、既製のモーターを分解して、エナメル線を交換して巻き直し、回転数をあげたり、力を強くしたりの改造もした。
思いつくとなんでも自分でしてみないと気が済まないのだ。


その頃の私は、いったん何かに取り組み始めるとそれに夢中になって、他のことは一切どこかにいってしまった。たまにトイレに立つくらいで、母親が何度昼ご飯だといって呼びにきても耳に入らず、そのまま昼食を食べないままに、夕方薄暗くなって手元が見えなくなるまで没頭していた。
母親も慣れたもので、何度かそんなことが続いてからは、2~3度声をかけたら食事を片づけてしまうようになっていた。

思い出すと、我ながら子供らしからぬ子供だったとあきれてしまう。


しかし、今の自分自身をふりかえってみると、やはりあの頃の面影はどこかにしっかり残っている。
人の性格はそんなに簡単に変わるものではないようである。



こうしてみると、一つのことに夢中になって取り組む良い子だったみたいにも見えてしまうが、実はとんでもない失敗ばかりしでかしていたほうがずっと多かった。

それはまた書きたいと思う。






思い出への旅:お盆

例年のごとくのお盆の喧噪が過ぎると、もう夏も終わるのかなと思う。
どこかで子供の頃の記憶と重なるからだろうか?


子供の頃の私は毎年お盆の時期を母の実家で過ごしてきた。
一つ年上のいとこがいて、ちょうどよい遊び相手にも恵まれていたこともある。

夏休みの子供の一日はなかなか忙しい!

朝食を済ますと、早速家の周囲でセミ取りに興じたり、裏の空き地にある大きな木に登ったりして半日過ごす。
あっという間にお昼ご飯である。

昼食が済むと今度は海水浴に出掛ける。
家から4~5百メートルも歩けば海岸の波打ち際だ。
家を出るときから水着にサンダルを履いただけの格好である。

今ではウインドサーフィンのメッカになっている海岸だが、当時は観光客など全くいなかった。
地元の子供たち専用の遊び場だった。

ひとしきり海で遊んで、遊び疲れたところで家に帰るのだが、帰りには海岸近くにある畑から黄色く熟れたまくわうりをいくつか取って帰る。

真夏の海岸で遊び疲れた子供たちを待っているのは程良く冷えた真っ赤なスイカだ。
思い切り遊んだ後で、おなかがすいてのどは乾ききっているので味は格別である。
大きな冷蔵庫などはまだあまり普及していない時代で、スイカは井戸の中に入れて冷やしていたが、その味は、今冷蔵庫で冷やしてつめたくなりすぎたスイカに比べて、ずっとおいしかったような気がする。

一息ついたら、今度は近所の駄菓子屋に出掛ける。
お菓子を買うことが目的ではない。(もちろんお菓子も買うが)
夜になって遊ぶ花火を買うのである。子供なりに値段と相談しながら、できるだけたくさん色々な種類の花火を買いそろえる。

駄菓子屋はまた、近所の子供たちの社交場でもある。同じ年頃の子供たちととりとめのない話をしながらじゃれあっているうちに夕暮れ時になる。
お墓参りに行く時間である。

お墓は、昼間海水浴に行った海岸へ行く途中にある。
お盆には毎日お墓に行って、松明を焚いてお線香を上げてお参りをしてくる。
そして、もどってくると屋敷の入り口にも松明を焚く。
それが母の実家での子供たちの役割だった。

それが済むと夕食である。夕食のデザートには昼間畑から取ってきたまくわうりが出る。もちろん井戸でおいしく冷やしてある。

私にとって夏の味覚の第1番はなんと言ってもこのまくわうりだ。
あのシャリッとした歯触りと食感に、ほどよい甘さはなんとも言えない!
グチャグチャとしてやたらベタベタ甘く値段が高いのだけが取り柄のようなマスクメロンなど比べものにならないと私は思っている。
今でも夏になるとこの思い出の味を求めて、周辺の農家の産直の店をまわる。スーパーの店頭に並ぶきれいな色の形の整った同じような大きさのものを見てもあまりおいしそうには感じない。それぞれ個性的な形をした大小さまざまのまくわうりが転がっている中から選んで買ってくるもののほうがおいしいような気がする。

夕食後は、駄菓子屋で買ってきた花火で遊ぶ。周りに家の明かりのない田舎の家の真っ暗な広い庭でする花火は一層はなやかである。


こうしてあっという間に1日が過ぎ、そして、お盆の数日間が過ぎていくのである。

もう家に帰らなくては・・・と思う頃になると、裏の空き地の大きな木からツクツクボウシの声が聞こえてくる。
この声を聞くと、もう夏休みが半分過ぎちゃったと、妙に寂しく不安な気持ちになった。


今ではツクツクボウシの声が聞かれるの時期が以前よりも随分早くなったような気がするが、夏が過ぎていく妙な寂しさが込み上げてくる感覚は、あのころから何十年もたった今でも変わらない。
いや、一層強くなったような気もする。




2011年8月17日水曜日

花の旅:またアサガオ

庭のアサガオの開花数が2日続けて500を越えてきました。本日、525!

夏にアサガオを栽培するようになって3年目です。
最初の年は種を2袋購入してきてそれを蒔いて育てましたが、昨年は前年(最初の年)に採取した種を蒔いて育てました。

1年目に咲いた花はおおよそ次の4種類で、種を購入した袋の写真通りでした。






ところが2年目(昨年)は、前年に加えて、次のように微妙に色合いの変化したものが増えてきました。









この中で、真っ白のもの(十数輪)と最後の青と白の縞模様のもの(数輪)が特に数が少なく珍しかったので、花の付いた所に印を付けておいて種を採取し、今年蒔いてみました。

白い花のものはすべて綺麗な真っ白の花を着けましたが、特に楽しみにしていた、青白の縞模様のものは残念ながら今のところ1輪も咲いていません。

これから1輪でも咲き出してくれたらと期待しています。






2011年8月16日火曜日

ちょっと公園までの旅:虫の声

今朝、そろそろ秋の虫の声も・・・などと言っていたら、夕方の散歩の帰路に、空き地の草むらの中から虫の声が聞こえてきました。

今も、家の窓を開けて外を見ると、我が家の庭からも秋の虫の声が聞こえてきます。
(昨日はそんなことはなかったのに・・・)

立秋を過ぎても暑い日々が続いていますが、確かに秋はそこまで来ているようです。



ちょっと公園までの旅:月

今朝5時に家を出ると西の空に綺麗な月が出て(残って)いた。
満月かな?十六夜の月かな?




これからは空気が澄んできて月が綺麗な時期になります。
夕方、秋の虫の声が聞こえてくる日も近いように感じられる。


2011年8月15日月曜日

花の旅:オクラ

数年前から夏はアサガオを栽培している。

昨年はそれにゴーヤが加わったが、それはどちらも夏の暑さを和らげるためのグリーンカーテンが目的だった。


ところが、うれしい誤算でたくさんのゴーヤが収穫できて毎日の夕食の食卓にのぼった。

これに味をしめて、今年ゴーヤの苗を買いに行った時にそこにあったオクラとアスパラガスの苗も一緒に買ってきた。

アスパラガスは収穫できるようになるまでは数年かかるということだが、オクラはここ数日毎日花が咲いて実を着けている。




クリーム色のなかなか綺麗な花で、十分観賞に堪えられるものだと思うのだが、園芸用に栽培(販売)されることがないのは、花が朝開いて翌日にはもう落花してしまうからだろう!

ちなみに、花が落ちた跡に着いている小さな実はすぐに大きくなり3~4日で収穫できる。



2011年8月14日日曜日

本の旅:「街道をゆく30 愛蘭土紀行Ⅰ」(司馬遼太郎)

恥ずかしながら私は、北アイルランド紛争といへばIRAというグループが独立を叫んで過激な行動を起こしているくらいの認識しかもっていなかった。

しかしそれは、長きに渡る歴史的な背景や宗教的な対立に根ざしているものだと知った。

このような対立は、個人・家族(一族)・地域・国家・民族間など様々なレベルで存在するがいずれも根が深いものだけに解決の道筋はなかなか見えてこない。

今でもアイルランドに限らず、世界の多くの地域で国家や民族の対立が続いている。国内にもまだまだあるのだろう。

あらためて、物事のあらわれだけを見てよしとしているのではなく、問題の本質に目を向ける態度を心がけようと思った。


引き続き「街道をゆく31 愛蘭土紀行Ⅱ」(司馬遼太郎)を読み始める。


花の旅:カラスウリ

日々日の出の時間が遅くなってきて、家を出るとき(5時)には辺りはまだ薄暗い。

歩いていると、周辺の家の生け垣に巻き付いた蔓に白いものがぼんやりと浮かんでいる。
カラスウリの花である。

一夜花であるカラスウリの花は朝明るくなる頃にはもうしぼんでしまうので、これまではなかなか見られなかったが、最近は日の出時間が遅くなってきたため、かろうじて朝の散歩の時間に見ることができるようになった。



星空の旅:ペルセウス座流星群

ペルセウス座流星群の流れ星を見ようと、今朝は3時半に起きてじっと夜空を眺めていた。
ぼんやりとかすんだ星がところどころにかすかに見えるだけで、なかなか流れ星は出現しなかった。
ぼーっと夜空を眺めること1時間。空が白み始めてきて、本日の流れ星はあきらめることとなった。

結局、今朝見たものは、ベランダの上を飛び交うコウモリ2匹だけだった(-_-)

5時になって散歩に行こうと外に出てみると、空全体にうっすらと雲が広がっていた。
睡眠時間を1時間損したような気分になった。
(睡眠時間4時間)


一応、明朝もチャレンジしてみようと思ってはいる。

2011年8月13日土曜日

夕方の散歩

いつものように公園まで行った帰り道。

3回もカワセミに出会った!


今日は朝もつがいのカワセミが見られたし、夕方も・・・
とてもラッキーな日だった。

本の旅:「一塁手の生還」(赤瀬川隼) 再読

戦死したことになっていた兄が不意に帰ってきた。

兄とはずいぶん年が離れており、兄と別れたときに幼かった主人公は、その兄のことはあまりよくは知らない。

家には兄が使っていたファーストミットがあり、野球をしていたようだが、ある時からパタリとボールをさわらなくなった。
他の兄たちに理由を聞いても、誰も何も言わなかった。

もどってきた兄に誘われて、初めて兄とキャッチボールをしたが、それを最後に兄は寝込んでしまった。重い肺結核だった。

そんなある日、学校で行われた野球の練習試合を見に行くと、家で寝たきりのはずの兄が人混みの中で試合を見ていた。
しかし、その兄は1回表の守備が終わったときにはいなくなっていた。
まもなく兄は死んだ。


野球部に寄付してあった兄のファーストミットは、野球部に新しい道具が揃ったところで、兄の形見に返してもらった。
その帰りに長く学校で働いている老人に出会い、兄の話を聞かせてもらった。

あと1アウトで甲子園初出場という場面で、名一塁手といわれた兄が三塁手の送球をはじいて逆転負けしてしまった。

(兄は死ぬ前に自分のファーストミットが三塁手のボールをしっかり捕球するのを見届けに来たのか・・・?)









ちょっと公園までの旅:カワセミ

玄関ドアを開けたらセンサーライトが点いた。日の出前で辺りはまだ少し暗い。(4時45分)

公園まで行く途中に、カワセミに出会えるポイントがある。
今日は2羽(つがいかな?)のカワセミに出会えた。

最近は日の出の時間が次第に遅くなってきて、ちょうどポイント辺りに行く頃が日の出になる。日の出の前後の時間帯がカワセミのお食事(朝食?)タイムのようだ。

周辺には何カ所か決まった捕食場所があるので、ちょっと注意して見ているとすぐに発見することができる。

他の鳥と比べてアンバランスなほどに嘴が大きいので、目が悪いわたしでもかなり遠くからでもシルエットでそれと分かる。

2羽を同時に見たのは久しぶりのことでとてもラッキーだった。




これも散歩の楽しみの一つで、時々こういうことがあるのでなんとなく毎日朝夕続けられているようだ。


2011年8月12日金曜日

本の旅:「友よ」(山川方夫)再読

6日・9日と原爆の話題が続いたせいだろうか? 暑さのせいだろうか? 
「なしてかこの日は暑かとさ・・・」という言葉で始まる「友よ」(林京子)を読み返してみたくなった。

これまでも何度も読んでいるにもかかわらず、読んでいると目頭が熱くなってくるのはやはり年のせいだろうか!


毎年暑い夏が来ると、広島と長崎に行ってみようと思うのだが、まだ実行していない。
長崎も何回か行って平和公園にも行ったし、広島にも行って原爆ドームも見ている。
しかし、夏の暑い時期になると、真夏の暑い広島や長崎を訪ねてみたいという思いにかられる!

そして毎年、来年は実現しようと思うのだ。


よし!
来年こそは実現しよう!

ちょっと公園までの旅:ツバメ

今朝は久しぶりにさわやかな朝で、散歩がとても気持ちよかった。と言っても家が近づいてくる頃(6時過ぎ)には日差しが暑くなってきたが・・・


今日はいつになく異様にツバメがたくさん飛び交っていた。まだ南に渡って行くのは時期的に早いと思うのだがどうしてだろうか?

ちょっと考えてしまった。

2011年8月10日水曜日

花の旅:アサガオ

今日は350弱と、今年初めて三百を越える花が咲き、これからどこまで増えていくか楽しみです!

去年、たまたま真っ白な花が咲いたので、その種を採取して、今年蒔いてみました。すると見事に真っ白な花が咲きそろいました!
予想以上の成果で、ちょっと白い花が多すぎ、って感じです。

実は、もう一種類青と白の縞模様に咲いた花の種も同様にしたのですが、今のところ目に見える成果は現れていません。

一応、これからに希望をつなぎます。

2011年8月9日火曜日

ちょっと公園までの旅:朝の公園

今朝も5時から散歩。

早朝にも関わらず、いつになく蒸し暑かった!

いつもの公園に着いて、水道で汗になった顔を洗っていると、耳元10数センチのところを「チリッ」と鳴き声を発しながらカワセミが飛びすぎていきました。「ビュッ」という大きな羽音までが耳に響いてきました。

ここのコースはカワセミに出会える所で、いつもそれもひとつの楽しみにして散歩を続けているのですが、警戒心の強い鳥で、10メートル以内に近づけたことはこれまでも1度しかありません。
ビックリでした。

辺りを見渡すと、公園の芝生の上は鳥たちのレストラン状態でした。
雀に鳩・鴉にセキレイ、ヒグラシが鳴いている周囲の林間からはウグイスやホトトギスの声も聞こえてきました。

朝の静寂の中だけに鳴き声が一層綺麗に響きました。